これと似たような例には、北欧の母親の消費行動研究における「ベビーカー」の役割がある。ベビーカー購入は、彼女が母親になるための象徴的な儀式であると同時に、公園での母親コミュニティに参入するためのコミュニケーションツールにもなる。
消費行動からは、人々の意識をとらえることはもちろん、社会のありようを見通すことができる。ここに、僕たちが「パパ消費」に注目する理由がある。発見したものはというと、まだまだ断片的なのだが、先の父親像も含め、いくつか面白い再発見──自分自身もそうだったということの確認──があった。
安産祈願の「戌の日」が出産をめぐり果たす役割
いちばんの発見は「戌の日」だ。ヒアリングしたかぎり、父親になる前から戌の日を知っていた方はほとんどいない。だが、戌の日の頃(妊娠5カ月くらい)までに、認知率はほぼ100%になり、晴れて多くの夫婦が出かけることになる。
戌の日とは何か。年配の方々や、すでに子供のいる夫婦ならご存じであろう。安産祈願の日である。
犬は多産であるとともに、出産の苦しみが少ないといわれる。そこで犬にあやかり、戌の日に神社に詣でて安産祈願を行うとともに、お祓いをして清められた腹帯をもらう。
僕も行ったし、コールバッハさんも行ったらしい。ただし、どちらも奥さんに教えられて(ちなみに、彼の奥さんは日本人だ)。
話を聞かせてくれたある夫婦は、病院で、そろそろ戌の日に行ってきたらどうかと勧められたそうだ。別の母親は、病院に勤める看護師であった。科学の最先端である病院においても、古くからの言い伝えが生きているとは、とても興味深い。
気持ちはとてもよくわかる。どんなに科学が進もうと、出産にはリスクもあるし、当事者にとっては不安の連続である。その中、自分たちの力を超えた何かに祈ることは、むしろ理にかなっている気さえする。
あるいは、機能分析的に考えるとどうか。特定の活動の意味や機能は、目的に応じて複数想定できる。神社での「祈り」は、真に神様に祈っているというより、その行為を通じて気持ちを鎮めたり、家族の絆を確認することなのかもしれない。
特に父親は自分が妊娠するわけではないので、出産に関わる気持ちが、なかなか母親には及ばない。その中にあって、この種のイベントの存在は気持ちを合わせるうえで重要になる。
外出しにくくなる妊婦にとっては、「神様公認」の遠出の機会にもなる。それではということで、父親は祖父母を誘おうとするかもしれない。祖父母から、そういえばおまえのときにもみんなで行ったんだよ、という話があれば、自身の父親のイメージもまた変わるかもしれない。
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