仕事上のチームワークの功罪については、本記事のテーマとは離れるため割愛しますが、チームワーク全能論もまた、集団からはみ出した者を排除対象にしてしまいがちです。
対面調査で聞いた、ある会社員の事例を紹介します。被害者である彼(Xさんとしましょう)は、40代の未婚男性です。なれ合いを嫌い、何事も人に頼らず自分でなんとかしようとする意識が強い彼は、典型的なソロ男気質です。とはいっても、コミュニケーション能力が低いわけではなく、仕事に関しても特にマイナス面があったわけではありません。ただ、チームでの共同作業が苦手なうえに、ランチを人と共にすることも避けるタイプでした。上司からの酒の誘いやゴルフの誘いもすべて断る(そもそも彼自身、ゴルフをしない)という徹底ぶりでした。
あなたが上司だとしたらどうでしょう? Xさんのような部下がいたら扱いにくいでしょうか。
「○○すべき」という正義の名の下に
あるタイミングからXさんは、「異分子」として排除される仕打ちを受けることになります。
上司から仕事を振られなくなり、会話すらもなくなりました。やがて、Xさんは、その存在自体を上司から意図的に無視されるようになったといいます。そのうち、所属部署全員からも無視されるという職場いじめに発展していきます。こんな組織的なハラスメントが突然同時発生するわけはなく、これは上司の指示または圧力によるものと見ていいでしょう。しかし、同調したほかのメンバーたちを責めることはできないでしょう。上司のその指示に従わないということは自分もまた「異分子」扱いされることを意味するからです。
Xさんへの徹底的な無視は1年半にもわたって継続したといいます。ある意味、大したチームワークですが、やっていることは子どものいじめと変わりません。それどころか、より狡猾で陰湿です。無視というのは暴言や暴力と違い、物的証拠に残りにくい。訴え出たとしても、それを客観的に認めさせるのは困難です。そのくせ、本人を精神的にじわじわと追い詰めるだけに余計に始末が悪い。
物理的に孤独という状態に置かれるよりも、集団の中で自分だけが排除されているという心理的な孤立のほうが耐えがたい苦しみなのです。結局、Xさんは心を病み、適応障害という形で休職を余儀なくされたそうです。
日本の会社では、仕事の能力の出来不出来よりもこうした協調性のなさというものを問題視する傾向があります。特に、支配型の上司とはめっぽう合いません。支配型上司は、自分が所属する組織のルールや自分の指示に従わない者を断固として許しません。Xさんの悲劇は、そうした上司が上についたことです。
結婚すべきという社会規範、協調すべきという職場規範、本来「○○すべき」という社会規範は集団の秩序の安定を図り、結果個人の安心のために寄与するものだったはずです。が、いしつかそれは、マジョリティ側の正義として君臨するようになり、それに従わない異分子を検出する道具として機能するようになりました。そして、そうした規範を内面化できない個人は、正義の名の下に見せしめのように排除されてしまう。昨今のネットたたきにもそんな排除の論理が見え隠れしている気がしています。
怖いのは、こうした排除が正義であると確信している人であればあるほど、罪悪感もなく人を物のように排除・駆逐することが可能なのです。日常生活の中に蔓延しつつある「排除の論理」。私たちは危機感を持つ必要があるのかもしれません。
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