人間は「本能的に接触要求を持つ生き物」であり、スキンシップは人間にとって、最も強力なコミュニケーションの手段である。しかし、文化的な背景もあり、日本では人と人が密接な関係を築くのに必要なスキンシップの機会がほとんどない。
米国人のコミュニケーション研究者D.C.バーンランドは、1975年に、日本と米国の大学生を対象に、身体接触についての研究を発表したが、その中で、日本人の身体接触量は米国人の2分の1と結論づけた。
本当はもっと少ない感じもするが、不思議なのは日本人の場合、子供に対しては、一緒にお風呂に入る、添い寝をするなどスキンシップが盛んだが、青年期以降には劇的にその機会が減少することだ。1つの見解として、スキンシップが過度に性愛的なものとしてとらえられているきらいはあるだろう。
日本人は「スキンシップ欠乏症」
特に男性の場合、最近は、女性の肩をたたくだけで、「セクハラ」などと訴えられかねないご時世だけに、極度に接触を恐れる風潮が強まっているといえるかもしれない。日本人のスキンシップに対する敷居の高さは世界的に見ても明らかに異常だ。そうした飢餓感も、アイドルとの「握手」の権利がプレミアムな経験として売り買いされるような素地を生んでいる。
こうした「スキンシップ欠乏症」が、夫婦や恋人関係に影響するのか、日本人は世界一の「セックスレス大国」でもある。2005年のグローバル調査によれば、1年間の日本人のセックスの回数は45回。世界平均の103回の2分の1以下、トップのギリシャの138回の3分の1という少なさで、断トツの世界最低水準だった。
スキンシップの少なさは孤独度にも呼応する。日本人、特に日本の男性は世界で最も孤独な人たちである。人のぬくもりを感じることが世界で最も少ない日本人。その孤独解消に「ペットロボ」「人型ロボット」を活用しようなどといったアイデアが登場するのが極めてこの国らしい視点だ。「人と人との温かいつながりをつくる」ための本質的な議論が悲しいぐらいに置き去りにされているような気がしてならない。
読者の皆さんが今、「肌」で感じる、最も本質的な問題とは何だろうか。そして、誰にその解決を託せるだろうか。そんなことを考えながら、ぜひ、この日曜日には投票にお出掛けいただきたい。
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