サントリーが表に出さない「陰徳」の存在感

作家・伊集院静氏が語る創業者鳥井信治郎

――作家としての作法なのですか。

むしろ問題は書いた後だ。お互いきちんとした垣根を持たないといけない。

会社自体が表に出さず“陰徳”を守り通す

――それにしても、小説の舞台調べは入念です。

信治郎を知ろうとする過程で、この企業が初代から100年以上続いているのは単純に経営や事業とは関係ない、企業としての母体に何らかの精神が宿っているのではないかと考えるようになった。会社自体は表に出さず守り通している「陰徳」だと合点がいった。

たまたま「書」についての連載を『文芸春秋』にしていて、博多の仙厓和尚の『仙厓の陰徳』という小冊子に触れる機会があった。仙厓は施しを受けても礼を言わない。なぜなのか。「施しとは高貴なもの。礼を言ってはその途端に自分のためのものとなり本来の施しの陰徳にはならない」と。調べ始めたら、その陰徳が初代の信治郎・クニ夫妻から続いている。

信治郎の書いた半生記『道しるべ』に書いてあるのは親孝行せよ、家族孝行せよ、とにかく神に祈れ、さらに近江商人の「三方よし」、つまり「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」のこと、最後に陰徳のことがあった。半生記とはいえ、ウイスキーを造り上げたことは1行も書いていない。

――資料集めは3年前ぐらいから始めたのですね。

伊集院静(いじゅういん しずか)/1950年生まれ。立教大学文学部卒業。CMディレクターを経て、81年『皐月』で作家デビュー。『乳房』で吉川英治文学新人賞、『受け月』で直木賞、『機関車先生』で柴田錬三郎賞、『ごろごろ』で吉川英治文学賞、『ノボさん』で司馬遼太郎賞を受賞。(撮影:尾形文繁)

資料を集めても書かないものは結構ある。吉田松陰も20年近く集めているが、まだ踏み切れない。信治郎は今の時期だったらいいだろうと判断した。4代目社長の信忠さんが会長になったり、5代目社長として新浪剛史さんが入ったり、合併があったりと揺れはあるが、今の時期に書いておかないと人間を描く小説にはできないと思った。

――国産ウイスキー誕生の秘話はテレビ小説が先行しました。

僕は全部を見ていないが、ニッカ(ウヰスキー)の竹鶴政孝が存在したから国産ウイスキーができたとの風評は広がりすぎだ。信治郎が与えた給与、設備は法外で、竹鶴も自伝で、信治郎がいなかったら日本のウイスキーの歴史は何十年も遅れただろうと書いている。いったん流布すると、調べ直したぐらいでは変わらない。この小説でもそこは取り上げてはいない。

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