──統計的な事実そのものには異論の余地はないはずですが。
「だます」というよりむしろ「統計を切り捨てる」言説、行動様式だ。これを「それでもいいんだ」とするのは、「結論(とおぼしきもの)が先にある」統計詐欺といえる。この場合、言説の受け取り手は自らの良識に頼って護身を心掛けるしかない。
顧客アンケートは操作の余地が大いにある?
──統計を使ったウソも「盗む」に入るのですね。
「大きなウソ」ばかりでなく「小さなウソ」もある。たとえば片方の証拠だけを集める。統計的に有意性が出たものだけ、あるいは出なかったものだけで話をまとめる。身近な例では顧客アンケートや利用者アンケートがそうだ。とかく好評との結果を得るが、対象は顧客になってくれた人だけだ。一度でも利用してくれた人に評判がよかったら、それは一つの情報かもしれないが、操作の余地が大いにある。宿泊施設の「サービス改善のためご感想をお書きください」のアンケートにしても、単なる反省のためではない。顧客に再来訪を促す意図で実施される。好評という情報ばかりになりがちだ。
──「盗む」と表現されると犯罪に聞こえます。
犯罪としては、万引より、公海上の国境付近で地下資源を盗掘するやり方に似る。所有権がどちらにもありそうなものを一方がとってしまう。「我田引水なやり方」という意味に近い。手前みそなほうへ持っていってしまい、いつの間にか窃盗・横領という偏った使い方になる例だ。
あるネット右翼的なものを擁護する本に、ネット右翼は低学歴で定職がなくといったイメージとは全然違うと書いてあった。彼らにネットアンケートを行ったら、回答者は平均的な学歴や年収が国勢調査の平均より上だったと。だが、これは当たり前だ。片や国勢調査は全数調査。一時的な住所があれば、住所不定無職の人も入る可能性はある一方で、ネット調査には漏れがある。バイアスがかかるうえ、粗雑な議論が論拠になっている。
──統計は迫害もするのですね。
統計を使った「ヘイトクライム」の歴史は古い。これまでも戦争中の各国が相手国民の知能の低さや健康状態の劣悪さを科学的に証明する「統計合戦」を繰り返してきた。異教徒や異民族への迫害は歴史上けっこうあり、同じ国民の組織的な大量虐殺にはスターリンの大粛清やポル・ポトといった例さえある。これらも統計的にある一定のグループへの迫害から始まっている。
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