中野:いろいろ考えてみると、やはり世間のブラック企業に対する定義が間違っているのではないでしょうか。なぜ、ブラック企業なのかということを、再定義する必要があると思います。おそらく、働く時間は問題ではなくて、たとえば製造現場の人を、まるでロボットであるかのように、何も考えさせずに働き続けさせるとか、無言の圧力でノルマに達しなかった分を社員の自腹で買わせるなんてのは、ブラック企業の典型例でしょう。
「やりがい」「報酬」「労働管理」の3つの軸で考える必要
藤野:法律に沿って定義するならば、基本的に労働基準法に違反するのがブラック企業です。ただ、より深く考えると、ブラック企業かホワイト企業かということと、社員の幸福度合いは、また別の問題なのかもしれません。多くの若い人は、会社自体がブラック的な存在だと思っているフシがありますが、それは身を粉にして働いているのに、キャリアも給料も上がらない。でも、「やりがいがある仕事なんだ」と思い込まされて、働かされる。
いわば「やりがい搾取」によって多くの人が絶望しながら働いているのが現実だと考えているからです。だから、やりがいという軸と、それに報いる報酬体系、そして適正な労働管理という3つの軸で考えていく必要があるわけですが、残念ながら今、話題になっている働き方改革では労働管理に偏っている。ここに問題があるのだと思います。働く人それぞれにとって、何が大切なのかというバランスが大切なのだと思います。
渋澤:最後に、ちょっと違う視点の話について触れたいと思います。何かというと昔、残業といえば、定時になっても終わらない仕事をこなすためのものだと思っていたのですが、今は違うようですね。朝残業といって、朝早く来ても、それが残業時間にカウントされる。まあ、労働者からすれば当然の権利ということなのでしょうけど、これどう考えればいいのでしょうかね。
藤野:朝、体操を5分間やったら、凡例では残業にカウントせよという話もあります。
中野:某銀行では行員が早朝に来て仕事をしないように、会社のパソコンは午前9時前には稼働しないようになっていると聞きました。
渋澤:正直、これだけ窮屈になると、なんだか経済の成長力をそぐことになるのではないかと、正直、心配になります。
中野:そうですね。確かに労働者の権利ではあるのですが、線引きの難しいところはあると思います。経営者が従業員に無理強いをしてブラック企業化する一方、従業員は自分たちの権利を声高に主張してモンスター化する。何というか、この社会の余裕のなさこそが、会社と従業員の関係を考えていくうえで、いちばんの問題になっているような気がします。
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