神保町で異色出版社を興した男の譲れない志

紆余曲折の末、「作りたい本」にたどり着いた

「そんな折、学校で将来なりたい職業を聞かれました。正直なりたい職業はなかったんだけど、『サラリーマンと家業を継ぐことだけは絶対にしたくない』と答えました」

高校時代、「このままエスカレーター式に早稲田大学に入学してもいいのか?」と疑問に思った。

「早稲田大学を卒業して、それなりの一流企業に就職する。結婚して、子ども作って、犬でも飼って……という未来を想像したら気が狂いそうになりました。もう完全に一生が見えてしまっている。たまらなく嫌でした。両親に相談もせず『推薦を希望しない』にマルをつけました。ずいぶん怒られました」

映画が好きだったので日本大学芸術学部を受けたが、落ちてしまった。明治学院大学は受かったのだが、結局学校には通わなかった。

地上げ屋に実家が狙われ、両親が離婚したバブル時代

そんな中村さんの個人的な悩みとは別に、中村家には暗雲が立ち込めてきた。1986~1987年はバブルの時代だ。地価が上がりつづける中、地上げ屋と呼ばれる人たちが強引に土地の売買をした。反社会的勢力がかかわるあらっぽい話も多かった。

神保町は、地上げ発祥の地と言われている。中村さんの実家は、200坪もある広い土地を持っていたため、地上げ屋に狙われた。

「私が高校生の時分から変な人たちが家に出入りするようになりました。あの手この手で僕らを実家から立ち退かせようとしたり、共同事業という建前の詐欺を仕掛けられたりしました。そんな環境に耐えられなくなった母親が家から逃げ出して、とある人物のところに相談に行ったんです」

その人物のおかげで、地上げ屋たちは引き揚げたが、代わりにその人物が入り込んできた。そして自分のことを“先生”と呼ぶように強要し始めた。

母親はその人物の愛人になってしまった。中村さんの父親と創業一族は追い出されて、実質上、会社は乗っ取られてしまった。

「母親には何度も『だまされてるよ』って言ったんですけどね。聞く耳持ってもらえませんでした」

そして両親は離婚した。

中村さんは、父親についていきたかったが、

「妹にとっては、お前が父親代わりだ。母親側につくべきだ」

説得されて、結局母親についた。

「でもそれも長男で実家の後継者である僕をキープしておくためのウソだったんじゃないかと思ってます。そんなこんなで20歳前後で、世の中の汚い部分が全部わかってしまった。でも当時の僕は力がないので戦えなかったんです。従うしかなかった」

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