「『ブルーノート・レコード』(アメリカのジャズのレコードレーベル)の本の企画が通らなくて、だったら自分で出版社を起こすことにしました」
東京キララ社という名前の由来
東京キララ社というのは、響きのよさでつけた名前だった。キララというのは、そもそも娘につけようと思っていた名前だったという。
「義理の母親にキララなんて名前の子どもはかわいがらないって言われてつけるのをやめた名前でした。東京キララ社という名前は好評で、みんなに『いい名前ですね』って言われますね」
2001年12月19日に設立し、翌2002年に書籍を出した。初期はジャズとカメラ関連の本が中心だった。以前からまとめたかった、オウム真理教の辞書『オウム真理教大辞典』を2003年に出版して高評価を得た。
そんな中、2004年に漫画家の根本敬さんと出会い、意気投合した。根本さんとの出会いは、中村さん的にも、東京キララ社的にも、とても大きい出来事だったという。
「これは根本さんに出会う前の話ですが、僕のやりたいことが周りの人に理解されなかったり、不謹慎だよって怒られたりすることがよくあって『自分はオカシイのかな?』って悩んでいたことがあったんだけど、根本さんの作品を知った時『ああ、こんな昔からこういうことやってる人がいたんだ!! やっていいんだ!!』ってすごく感銘を受けました」
現在では、理解し合う仲間、本音で話し合える仲間と認識しているという。根本敬さんは、東京キララ社の特別顧問に就いている。東京キララ社からは根本さんの本が発売されているし、東京キララ社の公式ホームページでは根本さんのコラムも不定期に掲載している。
そんなサブカルチャー、アンダーグラウンドに特化した本を出版している東京キララ社だが、初期の頃には大手企業から完パケの仕事を受けたりもしていた。
「社員を食わせていかなければならないから、そういう“普通の”仕事も受けていたんだけど、ある時に大手企業からだまされて1000万円ほど赤字をかぶらされたことがありました。作りたくないものを作って、赤字を背負うってなんてバカバカしいんだって思いましたね。それ以来『作りたいものしか作らない』と決めました。それならたとえ赤字になっても納得ができますしね」
以降、よりディープで過激な路線に変更していった。もちろん大儲けをしているわけではないが、赤字にはなっていない。ここ1~2年は刊行ペースも上げて、年10冊以上の本を発刊している。
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