外国人が心底驚く日本人の特異な「自然観」 なぜ「整った自然」をこんなにも愛でるのか
また、日本人は詩や散文、あるいは友人宛の手紙であろうと、あらゆる形でものを書く際、しばしば自然と季節の要素を取り入れることがある。正式な手紙は、通例季節への言及から始まる。俳句はというと、伝統的に自然を題材とし重視してきた。また、自然を使った比喩は文学において非常によく見受けられる。
日本文化における自然の重要性については疑問の余地がない。こうした日本人の四季のとらえ方は、特に欧米人とは大きく異なっている。
私は、緑豊かな自然に囲まれたオレゴン州で生まれ育った。その中で、大自然の恵みをすべて大切に思い、敬い、そして楽しむように教わった。実際、オレゴンに住む多くの人は、自然は親しみやすく魅力的で、冒険と発見の舞台だと考えている。もちろん、私たちも季節の移り変わりに強い愛情がある。
手つかずの自然に長時間浸りたい日本人は多くない
日本に移住した当初、日本文化や日常生活における季節の重要性を知った私は、日本人はさぞかしキャンプやほかの野外活動が好きなのだろうと考えていた。が、実際には、手つかずの自然や野生に長時間浸りたいという日本人はほとんどいない。それよりは、日本人は手入れが行き届いた風景式庭園、盆栽、芸術的な生け花、整備された温泉風呂など、「きれいに整った」自然空間を好む傾向にあると感じる。
さて、突然だが、ここで質問したい。公園や庭園、風景式庭園、人工ビーチ、温泉風呂は「自然」といえるだろうか。
欧米人の観点からいえば、答えは絶対に「ノー」だ。こうした空間は、自然とは別のカテゴリーに属している。多くの欧米人にとって「自然」や「野生」とは、雄大な川や高くそびえる山脈、広大な草原などである。
これとは対照的に、日本では庭園や公園を自然と呼ぶのは至って普通のことである。それが木々や花々、水のようなもので満たされているなら、それは自然の景観であると考える。手つかずで原始のままの自然と、「整った自然」の両方が自然というカテゴリーに入っているのである。
さらに、欧米人が自然と呼んでいるもの、たとえば未開発の原生地や水のある場所は、普通の日本人の視点からは危険で恐ろしいところだ、と考えられている。まっとうな理由だ。
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