おおよそ、経営に取り組んでいくときに「普遍性」と「時代性」と「国民性」は、つねに心に留めておく必要があります。何年たっても貫く棒のような理念、思い、願い。これがなければ会社はフラフラと「海図なき航海」を続け、必ず座礁沈没します。しかし、そのときそのときの進化状況によってエンジンを取り替えなければ進み続けることはできません。
あるいは、今まで積んでいた荷物を港でおろし、別の荷物を積み込まなければならない局面もあるでしょう。それは、臨機応変に状況の変化に対応していかなければなりません。当然、時代に合わせて替えるべきものは替えなければなりません。
否定をしてはいけない
ですから、ここで言いたいことは「普遍的なこと」として、創業者、前任者を肯定していくことが大事だということです。「時代性」からすれば、創業者、前任者の取り組んでいたことが時代遅れであることはいうまでもありません。キリストが生きていたころに、拳銃はなかった。釈迦の時代に原爆はなかった。同じことです。その時代時代によって、どう対処するかは、その時々の神父や牧師や僧侶が判断していく。ときに法王庁や本山が理念、対応を提示しますし、会社も同じように時代に適合させる努力をしなければなりません。
会社によっては、創業者、前任者の理念や思いを変えなければならないということがでてくるかもしれません。しかし、この場合でも「創業者の理念はもう古い」「前任者の思いは間違っている」。だから「これらは否定する。これらは捨てる」などと言うことは、天に唾するようなもの。自分が辞めた途端「前任者否定の悪循環」が始まり、その後は、つねに、新社長は前社長を否定するということになります。
新社長は次のように言うべきです。「創業者の願い、前任者の思いはまことに共鳴できる。その願い、思いを、ここでさらに発展させ、充実させていきたい」「創業者、前任者の願い、思いに感謝しつつ、わが社の経営の座標軸にしていきたい」。そのような言い方で、新社長は、自分の考え方をしっかりと述べればいいのです。理念の継続性、思いの一貫性を「数珠の紐(ひも)」として表現すれば、「前任者否定の悪循環」を断ち切ることができ、また「社員の安心感と結束」を得ることができるのです。
比較にはなりませんが、こうしたことは、お隣の韓国の歴代の大統領が18代目の大統領に至るまで、全員がそれぞれの理由によって退任後、すべて亡命、実刑判決、暗殺、逮捕、自殺ということです。韓国は「国家としての戻り場所」がない。「心の戻り場所」「行動の戻り場所」がない。ですから、いつまでたっても国が安定しない、国民に落ち着きがない。国家経営でも同じことだということです。
この「前任者肯定論」は、あくまでも懸命に経営に取り組み、命がけで誠実に社員を守り、世のため、人のために、心を許さず経営に取り組んだ創業者、前任者を前提にしていることを申し添えておきます。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら