「ちゃんと議論できない」日本社会への処方箋 堀潤×若新雄純「論破禁止ゼミ」の狙いを聞く
――そもそもなぜ日本人は「議論がヘタ」なのでしょうか?
若新:いちばんの要因は、学校で受けてきた教育だと思います。戦後日本の学校教育はずっと1つの正解や結論を出すことばかり重視してきましたから。
でも現実社会では、算数のようにはっきりと正しい解を導けるような問題はごくわずか。僕は、それよりも正解か不正解か、賛成か反対かに至るまでのプロセスを丁寧にあつかうことのほうが大事だと思います。
堀:正しい議論のプロセスを丁寧に経れば、間違った情報に惑わされずに済みますからね。意外と世の中には、みんなに支持されているけど、根拠に乏しい意見や情報も多くあって。
「フェイクニュース」に惑わされないために
若新:僕らはそれを「ファクト飛ばしのオピニオン」と呼んでいます。
堀:今年話題になった「ポスト・トゥルース(世論形成において、客観的な事実より、虚偽であっても個人の感情に訴えるもののほうが強い影響力を持つ状況)」や「フェイクニュース(虚偽の情報でつくられたニュース)」も、ファクト飛ばしのオピニオンから派生していったもの。
若新:最近問題になったキュレーションメディアの記事にも、それっぽいキレイな意見や提案が書かれたものがたくさんありましたね。はっきりと言い切り型で提示されていて、一つの答えであるかのように見えてしまう。
――偽の情報にだまされないためには?
堀:その情報がファクト(事実)なのかオピニオン(意見)なのかを仕分けること。自分が発言する内容の主語を明確にすること。このふたつが情報を読み解くための基礎体力に繋がる。たとえば、「多くの労働者」という言葉を聞いたとき、それは「どの国」の、「どういった層」を示すのか具体的にしてみたり。
事前にそういった心構えをしていると、自分が物事を決断するときに慎重になれるし、「もっと知識がほしい」という欲求も駆り立てられると思うんですよ。
若新: ここは、「論破禁止」活動のすごく大事なところなんですが、ファクト(事実)は、「結論」ではなく、立場や視点、状況によって複数あるんですよね。誰かが1つのファクトを提示したからといって、そこで正解が出るわけではなく、それが議論のタネの1つになる。
堀:ええ。「ファクトをもとに自分のオピニオンを言えること」が第一段階だとすると、次は自分とは別のファクトやオピニオンを持った人と交流してほしい。「Aさんはこう言っていた。でも、Bさんは違った。一方、Cさんはこうだった」。こんな風にしてファクトの探求が続くと、自分のオピニオンに奥行きが出てくるだけじゃなく、まわりの人に対してもっと寛容になれる。
若新:誰が正しいか、ではなく、いろいろな立場からの正しさを集めていって、人それぞれの「自分の意見」をつくっていく。これができる人が増えたら、ネットを中心に見られる意見の食い違いやズレによって生じる過剰なバトルも少なくなる気がします。