「ちゃんと議論できない」日本社会への処方箋 堀潤×若新雄純「論破禁止ゼミ」の狙いを聞く
若新:僕は常々思うんですが、発信するオピニオン(意見)はつねに「プロトタイプ」でいい。発信するなら「完成された意見じゃないとダメ」と思っている人が多いようですが、完成された意見なんてなかなか出来上がりません。それを職業としているなら別ですが、そうじゃなければ、今の時点でわかっていること、考えていることをまとまっていない部分も含めて発信して、そこから得た反応をもとにどんどんブラッシュアップしていくというのが、インターネット社会の正しい楽しみ方だと思うんです。
堀:別の人に自分の意見を聞いてもらうと、自分の意見の間違っている部分や新しい視点が見えてきますからね。
民主主義の反対は「沈黙」
若新:「20世紀にもっとも影響の大きかった心理療法家」として評されるアメリカの心理学者のカール・ロジャースによると、人間には生来「自己修正力」があって、人との対話を通じてフィードバックを得ることによって、自分のことを深く理解し、あやまちにも気づき、自ら修正していけるということです。
だから、今よりももっとみんなが結論に迫られずに「やりとり」できる環境を整えれば、僕たち自身の生き抜く力も高まるんじゃないかという期待があるわけです。
堀:この取り組みは、民主主義の日本だからできること。民主主義のいいところは、100人いれば100通りの幸福を追求する方法があって、その100人それぞれの個性や技術を組み合わせることで新しい何かが生まれるところです。
日本のような人口減少が進み、かつ資源の少ない国は、この民主主義の仕組みをうまく活用することで新しいアイデアや技術を生み出すべきだと思います。
一方、民主主義の反対語は、「独裁」と言う人もいますが、僕は「沈黙」のほうが的を射ていると思う。
――何も言わないことが、いちばん非民主主義的だと。
堀:はい。いじめの取材をしても、いちばん罪づくりなのは、まわりにいて黙って見ているだけの傍観者です。そこで「やめろよ」とか発言すれば、その状況が改善するかもしれないのに。
でも、僕たちは怖いことがあったり、面倒くさいことがあったりすると、ついつい沈黙しちゃうんですよね。それが今年はやった「忖度」(そんたく)にも繋がっていて。
だから、沈黙や忖度を無くすためにも、「論破禁止でいいから、とりあえず何でも言ってみようよ」という環境をつくりたい。それを一緒に取り組んでいるのが、若新さん。
若新:論破を禁止するということは、最終的には粘り強く議論ができる力を身につけるということだと思っています。意見が食い違うのであれば、なぜ食い違うのかを学んでいく。それは、人間社会の多様性を守ることにも繋がると信じています。
(構成:紐野 義貴)
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