いかに、松下さんが補佐役的部下・高橋荒太郎さんに感謝していたかがわかります。ホンダの本田宗一郎さんに仕えた藤沢武夫さんも名補佐役でしたし、歴史的にいえば堺屋太一の小説『豊臣秀長―ある補佐役の生涯』で一躍有名になった秀吉の弟、豊臣秀長も名補佐役であったと思います。
社長の言葉どおりに忠実に動く部下が、秘書役的部下。社長の言葉を判断する部下が、参謀役的部下。社長の言葉ではなく社長の心で動く部下が、補佐役的部下ということです。
最初の10年は「秘書役的部下」に徹してみる
このことはひとりのビジネスマンが、組織に入社してからどのような過程で成長すべきかということも示唆していると思います。
入社してから最初の10年ほどは、まず秘書役的部下に徹したほうがいいかもしれません。この時期、学ぶべきものは学ぶ、採り入れるべきものは採り入れる。とにかく上司の言うとおりに動くべきでしょう。
上司の癖を読み取り、活用の仕方を考える。そして35歳前後からは上司の指示に対して言うべきことを言っていく。敢然と諫言していく。毅然と助言していく。そして50歳前後になれば補佐役的部下へ変身していく。その結果、経営幹部になって会社全体の経営を担当する。まあ、大ざっぱな記述ですが、そう意識して自己を変化させるということも考えられるのではないかと思います。
茶道や武道などに「守破離(しゅはり)」という言葉があります。守とは、師匠の言う「型を守る」こと、破とは自分に合った型をつくり、既存の「型を破る」こと、そして、離とは型から自由になり「型から離れる」ことをいうそうですが、この言葉に倣えば「守破超」、すなわち、守とは、社長、上司の指示を「守る」こと。破とは、その指示を自分なりに吟味し、時に「破る」こと。超とは、上司の指示をその心で受け止め「超える」こと。そういうことがいえるかもしれません。
ともあれ、長たる者は、秘書役的部下と参謀役的部下と補佐役的部下を持つべきだということ。また、ビジネスマンとしての歩き方も、秘書役的社員→参謀役的社員→補佐役的社員、そして経営幹部ということも、ひとつの歩き方だということは覚えておいていいことではないかと思います。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら