次にお茶を飲んだ途端にバレてしまうのが、その人の「集中力・記憶力のなさ」である。
師範に言われたことを簡単に忘れる
お茶の教室では、畳の歩き方からお菓子を用意する手順、そして最も時間がとられる「お茶を用意してお茶を振る舞うプロセス」を学ぶ。
しかしながら、記憶力が光のスピードで退化してしまっている人の場合、たったいま師範に言われたお茶の作法を、ものの見事にポカーンと忘れてしまうのだから、手に負えない。
いささかマニアックなことを書くことを許していただけるなら、お釜の隣にある水入れの蓋(ふた)をしかるべきタイミングで開けるのを忘れるのはもちろんのこと、畳の上を6歩で歩くところも、必ずや1歩抜かしてしまう大失態の数々。
ほかにも、お茶の作法的に糾弾されるケースでは、お茶の店じまいをするときに、汚れたお湯が入った桶(おけ)を奥に寄せてから最後のあいさつをするのが礼儀であるにもかかわらず、ついうっかりその桶をどかすことなく、無礼千万なあいさつをしてしまうのだ。
これでは、「いつまで経っても五流の飲み方」と非難を受けても、やむをえないだろう。
もうひとつ恐ろしいのが、お茶の作法を忘れる人を目にしたときに「なんでいま先生が言ったこと、いきなり忘れてるのよ!」と、すぐに平常心を乱してしまう、アンガーマネジメントがまったくできない、二流の怒りん坊たちが存在することである。
そもそもお茶の教室には年配の心穏やかな参加者が多く、多少もの忘れが多くても仕方ない御年齢である。
しかし、心やすらかに過ごすべきお茶の教室にして、「なんでこんなこと覚えられないのよ!」などとカリカリカリカリしているようでは、お茶を学ぶ本質である「不動心や思いやり」を、永遠に習得できないことがバレてしまうと思われても仕方ないだろう。
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