清田:自分が日常でモヤッと感じていたことを学術的なフレームで説明してもらえると、理論にリアリティを感じられますよね。自分の疑問と学術的な研究がつながって言語化されていく体験は気持ちいいし、まさに勉強の醍醐味ですよね。
トミヤマ:高校までにはなかった学びのあり方だと思います。
常見:千葉雅也先生が書いた、『勉強の哲学』(文藝春秋)が話題になっています。人生の根底に革命を起こす深い勉強の原理と実践法を紹介した本なのですが、彼は勉強とはこれまでの自分を失って変身することだと提唱しています。ふと気づいたのですけど、まじめな学生にとって「学ぶ」ということは課題をこなしたり、先生オススメの本を読んだりとか、TOEICの勉強をすることになっていないかなあ、と。
トミヤマ:ああ、よくわかります。
常見:でもそれは「学ぶ」ではなく「教わる」に近いと思うのですよね。大学からの勉強では、モノの見方が変わっていくことが面白い。
トミヤマ:すぐ答えを出したがる学生さんにストップをかけることが大学教員の仕事だと私は思っています。時間をかけることは、面倒くさくてダルいことだけど、やらなくちゃいけない。それから、講義では「正解はひとつじゃないよ」と言ってますね。なにを言っても大丈夫な空間をつくることで、失敗しても大丈夫だと実感してもらいたいんです。正解はひとつしかない、それ以外は間違いなんだ、という恐怖心があると、「ミスしたから恥ずかしい、もう講義にはいけない」と思ってしまう学生もいるので。
常見:間違っていても面白い意見ってありますからね。
トミヤマ:そうそう。そうやって何度も間違えることこそが、学問的な脳みそをつくる訓練になると思っています。
「実用至上主義」への違和感
清田:『大学1年生の歩き方』というタイトルをつけておいてアレですが、この本って大学生だけに向けて書いたつもりは全然ないんですよ。本にも書いた「実用至上主義」への違和感も、現在のぼく自身が感じていることです。
たとえば、ぼくは人々から恋バナを聞き集め、そこから見えるジェンダーの問題に関心をもっていますが、ジェンダーを専門的に学んだ経験はありません。なので、大学院で修士や博士を取らないと自分の書くものに説得力が出ないんじゃないか……とか、正直、考えるわけです。経験よりも資格を重視してしまう実用至上主義的な感性ですね。
そういう大人が感じている生きづらさと同じように、もしくはそれ以上に、学生も「資格取らなきゃ」「目に見える武器を作らなきゃ」と圧力を感じているはずなんですよ。だからこの本は、「俺もそんな時代があったわ〜」と過去を振り返る感じじゃなくて、同じ社会構造にいるわけで、今の自分の苦しみが学生とも接続しているだろうという感覚があって。「俺も同じだよ……」「気持ちわかるわ……」って肩を組むような気持ちで書きました。
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