仏マクロン24歳年上妻「元夫」の数奇なる人生 フランス人は有名人の元配偶者を詮索しない
そう、彼とはブリジットの元夫であり、ブリジットとの間にもうけた3人の子ども(息子と娘2人)のまぎれもない父親のことです。
先の大統領選で、3人の子どもたちは前線に立って義父のために奮闘しました。でも、元夫は透明な存在になって、私たちが見ることはできません。いまだに、カメルーンで生まれたエリート銀行員ということくらいしかわかっていません。
元夫との離婚は、それなりに大変でつらい思いをしたとブリジットは語っています。しかし、本当に大激震だったのは彼のほうでしょう。それ程の衝撃の中でよくぞ生きていた、と思うのです。
フランス人は有名人の「元配偶者」を詮索しない
日本ではよくある、有名人の元配偶者や元愛人がメディアに登場して発言するようなことは、フランスでは聞いたことがありません。日本とは違う文化というか、倫理風土なのでしょう。大衆の感覚としても、むやみに面白がったりはしません。仕事などやるべきことをやっていれば、プライベートは互いに詮索しないのが不文律なのです。
マクロンとブリジットの結婚を憶測しても、離婚には裁判所を経由する必要がありますので、双方の弁護士において詳細な契約書が作成されたはずです。その時はもうエリートであったマクロン、子どもの親権や慰謝料の規定のほか守秘義務など、万端遺漏はないと思います。そして、「終わったことは口外しない」。つまり、ブリジットの元夫が“透明な存在”になることは、法的にも強いられているのでしょう。
その点、日本は面白い。元恋人たちが売名行為もあって騒いだりしても、世間は「あいつらしょうがないな」と笑いながら見ています。それでも、不倫となると大騒ぎします。不倫は道徳的にいいことではないでしょうが、犯罪ではありません。さらに、有名人だからといって国民の手本になるべき聖人君子とも限りません。世間から袋だたきにあって、なぜ仕事まで自粛させられるのか不可解です。「汝(なんじ)らのうち罪なき者、石もて打て」ではありませんか?
誰もその正体を窺い知ることはできず、またせんさくもしないブリジットの元夫。“cocu(コキュ)”というフランス語は、「寝取られ男」を揶揄する、かなりあざけった言葉。まさに彼はコキュですが、あざけられるべき存在でしょうか?私は運命に翻弄された彼に深く同情します。史上最年少の大統領となる素質を秘めた半端なく意志の強い少年と、知性と美貌にあこがれる学校教師の妻。どこに彼の責任があるのでしょう。
理不尽でどうしようもないことが、人生にはときに出現するのです。さらに、自国が恋愛に関して寛容な文化風土だったからこそ、希有なシチュエーションに遭遇してしまったのです。誰を恨むでもない、彼はただ嗚咽(おえつ)するしかなかったのでしょう。切ないことです。心にしみるその切なさの感受もまた、センシュアルと言っていいでしょう。
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