福原愛の夫選びから見る「21世紀の美男論」 男は「渋さ」より「美しさ」で選ばれる時代だ
〜セシリア 音楽家
女だって、「女として生れたからには、美しい男を求めるのは当たり前だ」と、堂々と言ってもいいのではないでしょうか?
先日、台北での福原愛さんと江宏傑さんの披露宴会見の映像を眺めながら、そう思いました。愛ちゃんも非常に可愛らしいですが、江さんはほんとうに美男です。
記者からの「どこで暮らすの?」との問いに、愛さんが「夫がいる場所が私のいる場所です」と答えたのを聞いて、思わず「私だってそう思う」と口走ってしまいました。
朝な夕な、あの芸術作品のような顔を間近で鑑賞できるなんて。しかも、“独り占め”ときてはまさに「女冥利に尽きる」というものです。どっちが先に声をかけたとか、プロポーズのいきさつなんてどうでもよく「愛ちゃん、きっと顔で選んだのね」、そう誰もが思ったはずです。真相はどうあれ。
女が「美しい男をモノにする」と言って何が悪い?
昔の男性たちは「クレオパトラか楊貴妃か、男として生まれたからには飛びっきりの美人を嫁にするぞ」と勇み立ったと聞きますが、今の女性はどうして「女と生れたからには、皆が羨ましがる美男をモノにするぞ」と言わないのでしょう?
かつて、フランスの映画俳優アランドロンと、その美男っぷり競ったジェラール・フィリップという俳優がいました。それはそれはとても美しい人で、「美男薄命」ということか、30代で亡くなったのです。その妻だったアンヌ・フィリップは、珠玉の表現で綴られた『ためいきのとき』という著作の中で、深いため息とともに彼を追憶した言葉を残しています。「いつまでも心から離れないあの美しい笑顔のためなら、世界中を敵に回しても構わない――」と。
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