仏マクロン24歳年上妻「元夫」の数奇なる人生 フランス人は有名人の元配偶者を詮索しない
極東のロリータコンプレックス国の居酒屋ではきっと「酔狂にもほどがある」と、サラリーマンの酒のさかなになっていることでありましょう。一方、アムールの国フランスでは「年の差婚」も「略奪婚」も、それ自体が話題にのぼることはありません。2人の結婚は、そこまで奇想天外なことではなく、十分に考えられるオケージョンです。
極東の島国では「女房と畳は新しいものがいいに決まってら」であっても、それは女の使い捨て文化でしかないのです。フランス人の間では、使い捨てされる女性を「スコッティ」とか「クリネックス」と言うのだとか。若さや外見の美しさだけが売りの女性は「鼻紙チーンで捨てられるよ」ということなのでしょう。ティッシュペーパーにはなりたくないものです。
ブリジットは学生のころから、嫌味のないインテリジェンスにあふれた、人好きのする女性だったそうです。一方のマクロンは、ベスト・アンド・ブライテスト(the Best & the Brightest)。天性の頭脳はキラキラしていたに違いありません。そんな2人が出会ったとき、ふたつの知性と感性がぶつかり、磁石のように引き合いピタリとはまり込んで、恍惚(こうこつ)の共鳴に打ち震えたのではないかと想像します。
ブリジットはスタイルがいいうえ、ファッションセンスも抜群との評判です。センシュアリティが放つ魅力は、天賦というよりも努力によって身につけていくもの。年齢や外見といったものを吹き飛ばす力をもっています。そこがセクシュアリティとの違いなのです。
大フィーバーの2人の陰に「透明な存在」
さて、ずいぶん前置きが長くなりました。ここからが本題です。私が心惹(ひ)かれるのは、大フィーバー中のブリジットとマクロンの陰に隠れた、「透明な存在」です。
聖母マリアの夫は大工のヨゼフです。マリアは神によって「処女懐胎」しました。そのことにヨゼフは戸惑い、複雑な思いを抱きます。当然です。でありながらも神に諭されて、彼はその後も母子を支えつづけました。マリアとの間に子もなしたとか、それは他の女との間だとか、教派によって諸説あります。そして、イエスが人々の前に立つ前に亡くなったといわれます。
宗教画で描かれるヨゼフは、男性を感じさせない年老いた容貌ですが、これはマリアとの肉の結合を想像させない配慮と言われます。キリストとマリアという聖なるヒーローとヒロインを前にして、存在を透明にされてしまった老ヨゼフ。どんな思いでいたのか、なんとも切ないものがあります。
ヨゼフに思いを馳せると、"彼"のことを想像せずにはいられません。フランス北部の風光明媚な地方都市、アミアンで、少年マクロンがブリジット家の週末のディナーに招かれる際には、シャンパンと花束を抱えてやってくるのが常だったとか。笑顔がまぶしく、頭脳明晰でシャイ、青の瞳には強い意志がこもっていたであろう美少年のマクロン。
そのとき、彼は娘の同級生でもある前途洋々たる若者を、にこやかに見つめて歓待したことでしょう。そして、この少年が近い将来に、自分が何より大切にしてきたものを根こそぎ奪いさる存在になろうとは、夢にも思わなかったことでしょう。
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