しかし、それはそれまでの日本固有の考え方とか、伝統なりがよくないから、そういうものを捨てて、そのかわりに仏教を取り入れたのではない。日本の古来の、考え方や伝統精神はそのままにして、その上に仏教を取り入れているわな。それは、そういうやり方をしたほうが、これまでよりも好ましい姿が生まれてくるにちがいないという観点から、仏教を受け入れ、それを日本人なりに消化吸収している。仏教を受け入れた国には、今までの宗教や古来の考え方をすべて捨ててしまった国もあるようだけど、日本は違うな。
日本は伝統の精神を堅持しつつ、人々の精神生活に役立つと思われるものは、進んでどんどん生かしていこうとしたわけで、ずっと後になるけど、キリスト教まで受け入れておるわね。だから、そういうように受け入れていった仏教というものを、時とともに日本化していくわけや。
自分自身を終始一貫、主座に置いてきた
特に中世になって法然とか親鸞、日蓮といった人が出て、仏教本来の教えを生かしつつ、日本の国情に即した日本的な仏教といわれる新しい宗派を開いている。また、多くの人々が仏教徒になり、祖先の霊を仏壇に祭りながら、また、神社にお参りしたり、お祭りに参加したりしとるわね。
つまり、古来、祖先の霊を祭るということを、日本の伝統精神に立ちつつ、仏教の教えを活用して仏壇に祭っているとも考えられるわけや。
そういうように、日本人は仏教というものをひとつの教えとして尊び、それをみずからの向上のために吸収したけど、自分自身というものを終始一貫、主座に置いてきとるわけや。
だからね、日本の伝統精神というものを根に、仏教の花が生き生きと咲いたのだと思う。そして、日本において、いろいろ紆余曲折があったものの、仏教はどこの国よりも美しく開花したとも言われておるわね。
これは道徳の面についても言えるで。儒教な、いわゆる孔孟の教えやな、これがわが国の中心と言えるわな。それも日本人は、代々の天皇さんや治世者の帝王学に取り入れて日本化しておる。武士道精神にも、一般の人々の日常生活の道義道徳にも、儒教を取り入れて、取り入れつつ、日本人古来の伝統精神をきっちり貫き通している。
聖徳太子さんな、偉い人やで。当時の中国の皇帝に使いを送ったときに、その使いに持たせた手紙は、きみも知っとるやろ、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、つつがなきや……」という文章で始まっとるわね。
当時の中国は先進国であり、日本より遥(はる)かに大国であったわけや。その相手に対して決して卑屈になることなく、堂々と独立国としての主座をもって、対等に友好親善を深めていこうという気概を、太子さんがはっきりと持っておったのがわかる。
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