──格闘の末、伝説の大鮃の目に太古はおそれと祈りの感情を抱く。
それを父性と言ってしまえば単純すぎる。強大な自然の圧力と対峙する畏怖感だろうな。おそれの中には微妙な優しさが混在してる。それは自然そのものを僕がそう感じているから。ゲームでは得られなかったリアルなおそれ。意識が満たされていく中で、おそれもあれば慈悲もあり、いろんな要素があるわけで。
日常生活の隅々に父性否定みたいな感覚が
──一言で言えば「父性を求め旅した青年の成長物語」ですが、波瀾万丈を生きてきた老人たちの語りのほうにむしろ心を動かされました。
俺は年齢的には立派な老人で、この小説は今生きてる青年と俺の対話なのね。72年間生きてるとあらゆる男が俺の中にいる。無茶なこともやってきたし、30代は始末に負えない荒くれ者だった、今は温厚になったけど(笑)。出てくる老人全員が俺の中にいるわけ。だから老人たちがそれぞれ特異な人生を語っても、作りものの不自然さがないと思う。太古に何か教えるというよりも、自分を書いてるんだね。そこにたまたま太古がいて、対話してる。
今日本人が、日本全体が、父性というものを失っているけど、父性というものを見直してほしい。これは戦争経験が大きい。わずか70数年前に戦争というもろに力の世界で何百万人が殺された。戦争は父性を肥大化させた世界。父性と父性がぶつかり合った戦争は何も生まず、ただ父性に対する拒絶反応、トラウマを生んだ。父性は決して悪いものじゃないのに、日常生活の隅々に父性否定みたいな感覚が浸透してる。父性の強さよりも優しさを求める。
──確かにテレビCMの父親や夫像など、気色悪いほど優しさ全開。
優しさもいいことではあるけど、いざ何かが起きたとき、自然災害も含めた乱世には、どこかでコントロールする人が必要になる。エマージェンシーは平和な世でもどこにでも起きるわけだよ。父性に対する拒絶感じゃなく、もう少しニュートラルな目で見つめる必要があると思う。
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