犯罪者の逮捕歴をネットから削除すべきか? グーグルが直面した、「忘れられる権利」
最高裁としては、削除を認めなかった高裁の決定を支持し男性の抗告を棄却する結論だったので、あえて「忘れられる権利」に言及する必要がなく、従来の枠組みの中で判断すれば足りたといえる。しかし、高裁決定のほうは、忘れられる権利が認められない理由を具体的に述べている。最高裁が独自に忘れられる権利論を展開するのでないなら、原決定を引用することも可能だったはずだ。その”沈黙”から、最高裁が当面の態度表明を差し控えた、と評価することも可能かもしれない。日本でEUと同様の事案が争われた場合、新しい判断が必要かどうかは試されてはいない。
同時に最高裁は、検索事業の法的性質について表現行為にあたるとしており、検索事業者が結果の削除を命じられることがあることがわかった。この判断はEU司法裁判所の結論と異ならない。
検索事業は自動かつ機械的に生成するプログラムによって、基本的には情報の所在(ウェブサイト)を表示するが、その内容の一部(検索語を含む部分の抜粋)を表示するなど、ときには膨大な件数にのぼる結果から、検索者がより有望なサイトを選択できるようにした。かつ、リンクの作成で、サイトへのアクセスに便宜も与える。こうしたサービスを提供する検索事業者は、単なる媒介者でなく、典型的な表現者とも違う、従来存在しなかったタイプにみえる。
「プライバシー」か「公益」か判断せず
今日、ネット上に存在するサイトやそれらが提供する情報量はまさに膨大で、しかも、日々増殖する一方だ。検索サイトに頼らなければ、われわれがその所在を特定して、その情報にアクセスすることは非常に困難となる。ネットと検索事業のこうした特質を無視して、検索事業の法的性質や事業者の法的責任を論じることは、およそ不可能である。
検索事業者がリンク先のサイトの発信者とは別に、責任を負う場合のありうることを認めるとき、新たな判断の枠組みが必要になるだろう。「忘れられる権利」という言い方を使うかどうかはともかく、プライバシーの保護か公益の確保か、検索事業においてどちらを優先すべきか、その判断はいまだ尽くされていない。
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