乙武:ただ、私が『五体不満足』を書いた1998年当時の社会的な状況を考えたときに、いまだにそのアプローチ1本でいいのかな、という思いもあったんです。私自身は、そのアプローチを否定はしないけれども、違うアプローチがあり、もうちょっとスタイリッシュだったり、親しみやすかったり、ちょっと笑えたり、そんなアプローチもあっていいのかなと。「あっ、なるほど。こういうことも必要だよね」と思ってもらえるような表現があってもいいんじゃないかというのが、私のそもそものスタートなんですね。
だから『五体不満足』も堅苦しい本ではなく、ちょっと笑えるネタをいっぱい詰め込んだつもりですし、その後のメディアでの発言というのも、そういったところを意識してきたつもりなんですよ。だから、このポリコレということに関しても、「そんな堅苦しくやっても、みんな聞いてくれるだろうか。もっと違うやり方があるんじゃないか」というのが、この18年間、私の一貫したスタンスなんですよね。
中川:女性の権利っていう主張の仕方も、時代遅れだと思っているんですよ。ピンクの服を着てね、鉢巻きを巻いて行進すればいいと、まだ思っているわけじゃないですか。
乙武:「女性らしさとは」という概念を無理に統一しようとするから、また窮屈さが生まれるんであって、それぞれが思う女性らしさのアピールでいいと思うんですよね。なんかそれこそ、艶(なま)めかしい格好をすることが女性らしさだと思う方は、そういう格好で来ればいいし。いやいや、女性だからって艶めかしさをアピールするんじゃなく、カチッとしたスーツで、こざっぱりとした服装で主張することが、今のこれからの女性のあり方なんだと思う方は、そういう格好で来ればいいし。思い思いの価値観がそこに投影されればいいと思うんですが、どうしても「こういう存在はこうでなきゃ」とか、「こういうアピールの仕方がいいんだ」といった統一することが強制になりつつある怖さは感じますね。
男女のトイレを統一する動きも
中川:今じゃ考えられないけど、俺たちが通っていた頃の一橋大学って、男女のトイレが一緒だったんですよ。でもそれを、誰も特に文句を言ってなかった。権利なんて、ほんの20年前にはないがしろにされていた。今だったら異常な扱いになるものを。
乙武:でも1周回って、今、アメリカの学校では男女のトイレを統一する動きがあるみたいですよ。要は、LGBTの問題で。
中川:あっ、そうか、そうか。
乙武:男性同士といえ、「なんか嫌だ」と思う人がいたらどうするんだという話から、だったら男女の区分けそのものをなくして、全個室化したほうがいいんじゃないかという話はあるみたいですね。
河崎:「共学トイレ」っていうんですよね。男女別じゃなくて、共学。
中川:不思議なのが、たとえば公衆トイレの掃除をする人がおばさんでも、男性も女性も気にしない。一方で男性保育士が女児のおむつを替えることには抵抗がある。温泉でも、おばちゃんはお掃除で男湯に入ってくるし、あと銭湯の番台も、おばちゃんのほうが圧倒的に多いもんね。
河崎:職業論では、ジェンダーに固執していると実は職業の自由が阻害されて、いつまでもタブーのせいで女も自由になれないと、むしろわかってくるのがこの2010年代の世界で。おばさんになった私なんかは、「もう性別関係ないよね」って思い始めちゃった。
中川:あっ、そうなんですか?
河崎:そう。特に、性別にもう強弱はまったく関係ないよなと、今は思っているんですけれどもね。むしろ男性陣、自分たちが「強い」って思ったことありますか? 「自分は男だから強い」なんて、いまどき疑いなく信じていられる?
中川:えっとね、自分が強いと思ったのは、2回だけしかないんですよ。1回目は、就活。
河崎:なるほど。
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