乙武洋匡「日本には村の掟がまだ残っている」 中川淳一郎と語る競争、結婚、不倫、差別

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中川:ちょっと上の世代だと、マイホームは買うものだという感覚があった。

乙武洋匡氏(撮影:今井康一)

乙武:そうです。でも、われわれオーバー40(フォーティ)世代は、結婚というのは別にしなくてもいいという感覚は、20代の頃持ててなかったように思うんです。私自身、常識にはとらわれないタイプで、「皆がするから自分も、と流されるなんて……」と考えるタイプだったにもかかわらず、そんな私でさえ「結婚はするものだ」と思ってしまっていた。そういう意味でわれわれの世代って、「あれ、この、結婚して家族を持つというスタイルは、俺が本当に望むかたちなんだっけ、私がいちばん幸せでいられるかたちなんだっけ?」というのを、今さらながら問い返してみたり。でも、たとえそうじゃなかったとしても、後戻りできるわけでもないので、その問いと向き合うのさえ怖いみたいな。そういうタイミングなのかな。

中川:乙武さんは先日出演されたテレビ番組で「結婚はもうしない」という主旨の発言をされていましたけれど、その真意っていうのは。

乙武:まあ、あれはバラエティ番組での発言なので、「真意」ってほど深いものはないんですけど。ただ、「結婚=子どもをつくる場合には便利な制度」というイメージには変化しましたね。

中川:それは制度として、いろいろと優遇されるということですね。

乙武:そうです。自治体とかでもね。だから、別にパートナーをつくっても、子どもさえつくらないのであれば、特に結婚をする必要はないのかなって。「結婚しない」=「一生パートナーをつくらない」という意味ではなく、一緒に生きていきたい相手が見つかったからといって、すぐに結婚という制度と結び付ける必要はないな、と。

中川:最初からずっと話している「世間の空気」の話ですね。結婚していたら別の女性と2人で会うのが、もう倫理に反する、という話になるか。たとえば体の関係がなかったにしても、「そんな夜、零時まわったときに2人で飲んでるなんて、どういうつもりなのか?」と。でも、もし結婚さえしてなければ、「大人の付き合いですね」で終わり。

乙武:20代の頃は、私自身も、結婚というシステムが自分の人生やライフスタイルにかなっているのかを考えられず、世間的に結婚するものだという文脈に乗っかってしまった。そうして一度結婚生活がうまくいかなかった、自分で壊してしまった人間が40代に入り、ようやく今、個別化して考えているんですよね。今後、人生の後半戦を送っていく自分にとって、結婚というシステムは適しているんだろうかと考えたときに、「あ、おそらく適してないな」と。まあ、これは現時点での判断なので、また変わるかもしれませんけどね。

河崎:乙武さんはお子さんが3人いらっしゃいますよね。

乙武:はい。

「親を安心させたいという思いは確かにあった」

中川:結婚して子どもをもうけたことで、乙武さんの自尊心のようなものは満たされたんですか。世間には結婚できないと見なされている中、でも結婚とはするものだ、との感覚の中で生きてらっしゃったと。で、俺は普通に人並み以上に、子どももちゃんといっぱいいるぞ、「どうだ!」との気持ちはあったんですか。

乙武:私が結婚したのは2001年。当時はまだ「どうせ重度の身体障害者なんて、結婚できるはずがない」と思われている風潮でした。私が『五体不満足』という本を書いた動機も、障害者へのステレオタイプな見方に対して、「そうじゃない人間もいるんだ」というアンチテーゼとして提示したかったというものでしたから、そうした文脈において、「こうやって家族を持つこともできるんだよ」というのを見せたいという思いが、まったくなかったと言ったらうそになるかもしれないですね。

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