中川:なんか、面白いことになっちゃっているなと思って。ヒーローだって大抵みんな「マン」がついていますよ。キン肉マンは「キン肉パーソン」ですよ、台なし(笑)。
乙武:まあ、私のフィールドでいうと、障害者の「害」の字を平仮名にしましょうというのがきっとポリコレに当たるんだと思うんですけれども。あれは、私は結構前々から違和感を抱いていて。うーん、一部の障害者の中にももちろん漢字の「害」という字を不快に思う方もいる。でも、私のように「どうでもいいじゃない、そんなの」と思う障害者もいる。また逆サイドには、むしろ漢字で「害」と書きたいと強く思っている方々もいる。という中で、じゃあ、なんで「平仮名に統一しましょう」という動きがあるのか、私にとっては違和感でしかないですね。つまり、全員にとって不快感を与えない言葉、表現なんて、ほぼ不可能だと思うんですよね。
中川:不可能ですよね。
乙武:だから、クレームが来たら全部がそちらになびく、というひどい状況になってしまっている。2年ほど前、森三中の大島美幸さんが出産をされるときに、その出産シーンをバラエティ番組で放送する、ということが事前のニュースで流れたとき、「それは、不妊治療などで産めない方々に対して失礼に当たるんじゃないか」というバッシングが起こったんですよ。
でもね、そんなことまで言い出したら、失恋したばかりの人に対して「恋愛ドラマを放送するなんて失礼じゃないか」とか、何でもありになってくるわけですよね。そうやって、「誰かが不快な思いをするなら、それはやめよう」という風潮は、一見正しいかのように見えて、むしろどんどん社会を窮屈にしてしまっている。不寛容な社会はポリコレがつくり出している、と私は思っているんです。
中川:うん、そうですね。
一律に「やめましょう」というのは無理がある
乙武:じゃあ、ポリコレはすべてが間違いで、配慮なんかしなくていいのか?というと、それもまた違う。「目の前の相手、1対1の関係性で考えていきましょうよ」というのが私の持論です。たとえば、中川さんはご自分のことを「アル中(アルコール中毒)だ」と。それはちょっと軽い自虐も入って、みんなに楽しんでもらおうと思って「アル中だ」と言っていらっしゃるわけですよね?
中川:そう、そう。
乙武:でも、片やこちらに真剣にアル中であることを悩んでいて、それを触れられたくないと思っている方に、「おまえ、アル中だよね」と言ったら、それはものすごく失礼な発言になるわけです。だから僕らが、「中川さん、アル中ですもんね」と言うのと、悩んでいらっしゃる方に、「あなた、アル中ですもんね」と言うのは、まったく文脈が違ってくるわけですよね。
中川:そこをちゃんと洞察し合える関係をつくるべきだし。
乙武:おっしゃるとおりです。だから、基本的にコミュニケーションというのは、1対1の中で、相手がどう思うかということを考えながら、言葉のチョイスをしていくはずのものなのに、一律に「この言葉はやめましょう」とか、一律に「こういった放送はやめましょう」というのは無理があると思うんです。
中川:昔、アメリカに住んでいたんです。黒人が学校の廊下とかですれ違うときに「イエーイ!」ってハイタッチするんだけど、「ニガー!」ってやるんですよ。で、それはさすがに人種の違う俺たちはできないですよね。でも、あいつらの中では、いいっていうことになっていたんですよ。
で、明確にダメなのもある。たとえば、さっきの障害者っていう漢字の話でもあるんだけど、「外人」っていう言葉がありますよね。それ、昔のプロ野球で外国、まあ、アメリカ人の選手が来て全然活躍しないと、「害人」になるわけ。害虫の「害」になるんですよ。あれはいけないと思います。どんな状況であろうとも。ポリコレに関しては、この基本的な常識をいかにもつかと、人間関係をどう見るかの、2つがすごい重要だと思っていて。
河崎:私も子育てや教育分野の記事をずっと書いてきたので、そもそも、子供の「供」を平仮名にひらきましょうというのをたたき込まれてきました。それは子供の「供」の字が、お供をするという、主従関係を表すからやめようと。私はその、平仮名にひらくところからキャリアを始めてしまっているので、そこに何ら疑問を持たずにきてしまいました。基本的に「フェアでありたい」という思いがもちろんある。で、ただ、行き過ぎの人たちも、もちろんいますよね。今、ポリコレの先鋒は言葉狩りのようになっている。
中川:ツイッターレディス知っています? ミサンドリスト、男嫌いなんですよ。日本人の男のことを、キンタマオ、あるいは、ジャップオスって言うんです。
乙武:へー!
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