「旧来型マスメディア」の立場はかなり危うい 財政的にも環境的にも八方ふさがり

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──ほかの事例にも具体的に踏み込んでいます。

ニュースメディアは外からの政治的影響力の下で活動している。しかしメディアの中にも「政治」はある。メディアテクストの生産・受容過程で権力が作用し、メディアテクストそれ自体も権力性を確かに持つ。震災報道や政局・政策報道、水俣病、沖縄問題、さらには韓国大統領の風聞記事をも事例にして、不可視の権力性を浮き彫りにしたかった。

──現在は沖縄に関心が?

ナショナルインタレストとローカルインタレストのせめぎ合いの中で、沖縄タイムスと琉球新報のあり方に関心が集まっている。近く大学院生を引き連れてヒアリングに出向く。このせめぎ合いは環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉時などにおいてもあったはず。それにもかかわらずなぜ沖縄だけがバッシングされるのか。ローカルインタレストを守るのがローカルメディアだし、ナショナルインタレストを主張するのがナショナルメディアだとしたら、あらためて素材として沖縄に集中して考えてみたい。

原発事故は「東京インタレスト」にだまされた事例

大石 裕(おおいし ゆたか)/1956年生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒業。慶大大学院法学研究科博士課程単位取得退学、博士(法学)。専門はジャーナリズム論、政治コミュニケーション論。関西大学などを経る。著書に『ジャーナリズムとメディア言説』『メディアの中の政治』、共著に『ジャーナリズムは甦るか』など。(撮影:田所千代美)

──福島も本来は地域問題の事例として分析してよかった……。

あの原子力発電所事故は、ローカルインタレストがナショナルインタレスト、それもいわば「東京インタレスト」にだまされた事例だ。

半世紀前にも教訓がある。水俣病の研究プロジェクトに参加し、「もやい直し」に至るうえでの「ジャーナリズムの不作為」を痛いほど感じた。水俣病は1960年から68年まで報道空白期を迎えている。

なぜか。60年代前半に当事者企業チッソで安定賃金闘争が繰り広げられ、第1組合と第2組合の間での流血騒ぎに至る。世は日米安保問題や三井三池闘争を経て、争点設定がもっぱら労働運動になっていた。水俣を労使紛争として地方紙も全国紙も扱う。健康被害にさほどウエートはかけなくなり、地域が真っ二つになった真の原因をジャーナリズムは過小評価する。こうして水俣病の問題性はさらに深まってしまった。

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