どこにどのように住むのかは気分よく生きていくうえで決定的に重要だ。折り合うことは必要だけれど我慢をしてはいけないと筆者は思う。無理をしていると少しずつ不機嫌になっていき、しまいには体調不良に陥ることもある。住環境に関してまったく意見が合わない相手とは、友達や恋人にはなれても配偶者にはなりにくいのかもしれない。
もう1つの離婚理由も根本的なものだ。正隆さんは会社員時代から仕事熱心であり、尊敬する先輩から飲みに誘われたら喜んでお供をしていた。取引先のオーナー経営者から「後継者にならないか」と声をかけられ、真剣に検討したこともある。一方の前妻は冒険を嫌った。そして、正隆さんの飲み代こそ「余計な出費」だと見なしていた。
「何もしなくても淡々と働いていれば定年を迎えられる会社でした。彼女は僕にそれを望んでいたのだと思います。でも、僕はせっかく成長しようとしているのに足を引っ張られているように感じました」
前妻は子どもを連れて実家に帰り、それきり正隆さんのもとに帰らなかった。正隆さんは親権を取れず、子どもに会えない日々が続いた。会社では険悪な関係になった前妻と顔を合わせてしまう。ストレスで病がちになり、休職したこともある。
やる気に満ちあふれていた彼が…
そんな正隆さんに手を差し伸べたのが幸子さんだった。幸子さんは入社6年目のときに正隆さんと同じ出向先で働いた経験がある。自由度が高い小さな組織で力を大いに発揮する正隆さんは輝いていた。やる気はあっても引っ込み思案な自分の背中を優しく押してくれた。3年後、その正隆さんが助けを求めているように見えた。
「正隆さんは仕事の楽しさを教えてくれて私を救ってくれた存在です。彼が仕事に行き詰まり、精神的にも病んだりしているのを見て、助けたいと思いました。やる気に満ちあふれていた彼が沈んだまま人生を終えたらもったいないとも思いました。好きだという気持ちに気づいたのはしばらく後のことです」
愛してる、という日本語はなんだか空々しいと筆者は思う。アイ・ラブ・ユーを直訳したように感じるからだ。だからこそ、「かわいそう」「助けたい」「元気でいてほしい」という言葉には本物の愛を感じる。気まぐれな同情や憐憫(れんびん)ではない。理屈でもない。彼や彼女のために自分ができるかぎりのことをしたい――。唐突に沸き起こる熱い感情だ。
幸子さんも自分のことで精いっぱいな時期だったら、弱っている先輩社員を助けたいとは思わなかったかもしれない。30代になり、社会人としての自信をつけ、他人のために時間と労力を使うゆとりができていた。誰かを助けるためには優しさだけではなく実力も必要なのだ。
「正隆さんが生気を取り戻すのは独立開業の話をするときでした。生き生きしている彼と話すのは楽しかったです。でも、正直言って自分自身も退職することになるとは思っていませんでした。私はお手伝いをするぐらいの気持ちだったのですが、正隆さんが『最初から2人で店を作り上げないと意味がない』と強く言うので……」
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