青学・原監督の「コミュ力」は何がスゴいのか 体育会系特有の服従文化を徹底的に打破

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原監督のコミュニケーション戦略はまさにこの「常識」をぶち壊すもので、「指示を与える」のではなく、徹底的に選手の自主的な判断をゆだねるスタイルだ。自分たちで目標を立てさせ、プレゼンさせ、チームで議論したうえで、自主的に管理させる。

この点については、ラグビーワールドカップでの大躍進を導いた前日本代表監督エディ・ジョーンズ氏もまったく同じことを言っていた。「最近の若い人たちは上からあれをやれ、これをやれと命令されることを嫌がる。できるだけ、自分たちで答えを見つけ出させなければならない。だから、すべての選手が情報の単なる受け手になるのではなく、参画者にならなければならない。デシジョンメーキングに参画させ、自分たちで決めさせる」。

学校でも部活でも、日本の教育システムにありがちなのは、教師や指導者が「解答を与える」スタイルだ。一方で、欧米では「解答を見つけ出させる」教育が主流だ。そのために、教師と生徒はひたすらに対話を続ける。

著書『フツーの会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉』の中の原監督の選手との会話に、こうした「対話型のコミュニケーション」のカタチが見える。原監督は、選手が「足が痛いです」と相談してきた場合に、ではこうしろ、という指示は出さない。ではどうするのか。

原監督の徹底的なコミュニケーションとは?

「どこがいつから痛いの?」「治るまで1週間? 10日? 1カ月?」、「治るまで1カ月かかる場合はいつまでに治すように努力するの」「その間にできるトレーニングとしてA・B・Cがあるけど、どの方法でやってみたい」と、問いを重ねる。「私の質問の内容を想定し、自分なりに答えを出したうえで、『今回はトレーニングAで行きたいのですが、監督どうでしょうか?』というのが本当の相談」であり、相談とは指示を仰ぐことではない、と言うわけだ。

人間は相談を持ち掛けられるとどうしても、アドバイスや答えになるものを提供したい、という欲がでる。自分の知識を披歴したり、優位性を示したい、という本能的欲求に抗うのは容易ではない。しかし、子育てでも部下の教育でも、相手を下に見て、一方的に自分の考えを押し付けるコミュニケーションでは、相手に人間としての成長を期待できない。だから、原監督は「きみはどう思う?」「この課題はどうしよう?」とつねに問いかけているのだ。

原監督は体育会系の監督にありがちな大きな声で怒鳴ることはしないという。「お前ら、何やってるんだ」「何たるんでるんだ」などと叱責したり、怒るかわりに選手のそばに寄っていって「あー」「なんだよなあ」とつぶやく。それで、選手は自分たちに何が足りないのか気づくのだという。怒るより諭す。「言葉でじっくり諭すほうが、感情に任せて怒るより部員たちの心に響く」というわけだ。

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