たとえば次のような例をご覧ください。
双方の「前提」の食い違い
例1)勉強しない子に「勉強しなさい!」「早くしなさい!」と言っても、やらないか、やっても、嫌々ながらやる状態。そして、結果的にテストの点数が良くない。そこで、塾に入れたり、家庭教師をつけるがそれでも解決しない。
筆者が日頃見聞きする中で、いちばん多いのがこうしたケースです。親にすれば「勉強をやるべき」と当然のごとく思いこんでいるのですが、子どもは「なぜやる必要があるのか」という地点におり、大前提からかみあっていません。「前提部分」が何かに触れることがないため、いつまでも解決しません。
例2)夏休みの宿題について。親は、いちいちうるさく「早くやりなさい!」「まだやってないの?」「このままじゃ終わらないわよ!」と繰り返す。その結果、子どもは嫌々やるものの、結局終わらない状況となった(実は子どもは、実行計画を立てていたが、親から強制的な用語を浴びせられ、やる気を失ってしまった)。
例3)宿題をやってこない生徒に対して先生が怒る。毎回出している宿題のため、先生はいちいち言わなくてもやってくることが当たり前と思っている。一方で生徒は、先生に言われた場合にのみ、宿題をするという認識を持っている。しかも、先生が、怒っている最中、生徒は「先生が言わなかったからやらなかったのに」と内心思っているが、特に口に出して反論する生徒はいない。この先生は口に出して反論めいたことを言うと、さらに怒りが激しくなると生徒は思っているからだ。
さらにこの問題ではもうひとつ、前提の食い違いがあります。
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