一言で不安と言いますが、大きく分けると、具体的な対象のある不安、そして漠然とした不安の2種類に分けられます。そしてこれらは明確な基準に基づき、ある時点で明白な答えの出る対象のある不安と、そうでない不安と言い換えることもできます。
いただいた文章にかかわる例で言いますと、前者は翌日の資格試験に合格するか否かといったたぐいの不安であり、後者は自分の学歴を他人がどう評価するかといった不安です。
具体的な対象のある不安は、期限(たとえば試験結果の発表日)が過ぎれば不安としては過去のものとなります。当然ですが、合格にせよ不合格にせよ、合否という基準があり、事実は事実として明白になるからです。
反対に漠然とした不安については、明確な期限も基準もありませんので、対応策がないということから、いつになっても不安という状態が続くこととなります。
学歴不安もそうでしょう。一見、就職活動を終えれば学歴不安は過去のものとして解消されるように思われますが、実は気にする人にはこれは一生ついて回る不安です。「同期が先に出世したのは学歴のせいではないか」「転職しようにも学歴が」などといった具合です。
しかも厄介なことに学歴などは、相手の受け取り方によっても評価が異なるわけで、試験の合否などと異なり、明確な基準自体もないなわけです。したがって、何かをすれば不安が解消された状態にできるかというとそうではなく、いつになっても不安は解消されず、一度乗り越えたとしてもまた何かしらのきっかけで不安が再浮上する、ということになりかねません。
仕事ができない人ほど「明確化」しない
多くの社会人を見ていて思うのは、仕事のできない人にかぎってこうした漠然とした不安を持ち続け、「不安の明確化」を図らないことです。
赤提灯ネタの定番、「うちの会社は本当にダメなんだ」。これも漠然とした不安です。「うちの会社」という対象そのものも漠然としていますし、「ダメ」の基準も人によって千差万別ですから、明確ではありません。そもそも何と比べてという明確な比較対象もありませんから、やはり漠然とした不安や愚痴なのです。そして不安の対象が漠然としているがゆえに、解決策も漠然としてしまうということになります。
T.N.さんは学歴というコンプレックスをお持ちで、それを解消するべく資格取得などで頑張っておられます。非常にすばらしい心掛けだと思います。
しかしながら、不安のソースが学歴という漠然としたものになってますから、解決するべき課題が明確でないがゆえに、言葉は悪いですが、ゴールが見えない中でやみくもに努力を重ねてしまっているように思えます。
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