熊本地震で阻まれる、農業の「6次産業化」 インフラ回復途上で奮闘する阿蘇の今
震災直後に2つの温泉源が枯れた旅館、山王閣のオーナーシェフである工藤善雅さん(32)も、井上課長の「いつまでも下を向いていても始まらない」という説得を受け、再起の道を選んだ。複数の旅館が手を組み、グループとして復旧を計画すると、国と県が75%の補助金を支払う制度を利用。温泉設備などの修繕を進め、2017年春の本格営業開始を計画している。
井上課長によると、市内の製造業者は約70社。その多くが漬け物などの食品関係だ。原材料を地域の農家から仕入れるところも多い。農家が兼業で経営するところもある。1社でも落ちこぼれれば、震災で体力が弱った地域経済に打撃となるのは確実だ。各社を飛び回るようにして訪問した。
東日本大震災の復興の経験を持つ、宮城県の商工会関係者らが阿蘇市に滞在し、きめ細かい所まで相談に乗ったことも効果があった。「地震直後にはいくつかの業者から『これを契機に経営をやめる』という話があった。しかし、説得を通じて、最後は全社が復旧をめざすことになった」(井上課長)。
イチゴ農園を覆った多重苦
熊本地震全体を通じ、最大級の農業被害を受けたのは、南阿蘇村の立野地区だろう。山が崩落し、長さ200メートルの阿蘇大橋が落ちた。すぐ脇で観光イチゴ園の木之内農園を営む木之内均会長(54)は、30年前に九州東海大学(現東海大学)農学部を卒業し、当時としては珍しかった新規参入農家として経営規模を拡大してきた。年間売上高は1億6000万円に達し、その9割近くを観光イチゴ園と、ジャムを中心とした加工品が稼ぐ、典型的な6次産業化の農業経営だ。
熊本から阿蘇への動脈となる国道57号線で、阿蘇の入り口となる観光イチゴ園は、年間約5万人の客を集めた。「九州で一番早く観光イチゴ園を始め、阿蘇のイチゴ園でネットワークを作った。混雑時にはお互いに客を誘導するなど、地域全体で発展してきた」(木之内会長)。
しかし、地震は多重苦となって、木之内農園の経営を大きく揺さぶった。
主力のイチゴ栽培は水源が枯れて全滅。今年の栽培はめどが立たない。阿蘇の観光客がいつ戻ってくるか不透明な中、原料を仕入れて加工品を製造したとしても、売上高が回復する可能性は小さい。
「国内観光客だけはなく、海外からも激減した。口コミで東アジアから観光客が来ていて、多い週は50組がレンタカーやバスで乗り付け、両手一杯のイチゴやジャムを買ってくれたのが、ほぼゼロになった」(同)。
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