「外来種は悪者だ」を否定する本は悪書なのか 生きもの好きだけに地球を任せてはいけない
想像の産物に過ぎない「手つかずの自然」を守るのではなく、外来種の活力と「侵略本能」を活かして自然の再生をめざすニュー・ワイルドこそが21世紀の環境保護ではないか、これが著者の結論である。本書の立場に賛成か反対かはともかく、環境保護運動にかかる必読の1冊であろう。
ところで、本書は一部の専門家には評判が悪いようだ。例えば「悪書、著者は生き物がそんなに好きではないのでは? 生き物が好きでないなら余計なことは考えず(黙っていてほしい)」「雑な本がわざわざ翻訳されてそれを門外漢が書評する」などなど。
地球を「生き物好き」だけに任せておけばいいのか
僕は、悪書や雑な本は「第3者による検証が不可能な『新資料』『新事実』に基づいたもので、学問的な実証手順を抜きにして組み立てられたもの」と理解しているが、本書がそれに当たるのだろうか。「著者は生き物が嫌いでは」と言う人はおそらく生き物が大好きなのだろう。しかし、地球は生き物が好きな人だけに任せておいていいのだろうか。
「門外漢の書評」も同じで、素人は口を挟むなと言われれば、僕は生命保険本の書評しか書けなくなってしまう。そもそも、素人の判断を信じることが民主主義の根幹ではなかったのだろうか。多様な素人の意見を、悪書、雑な本などと決めつけるこのような一部専門家が、仮に自然の多様性を守れという運動をリードしているのであれば、その運動は市民的な拡がりを欠くようになるのではないだろうか。
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