どう「妥協」するのか
今回の『藁の楯 わらのたて』も木内さんの原作じゃなければ、もうちょっと苦労しないで済むようなやり方を選んだろうなとは思います(笑)。結果、新幹線を撮影するために台湾に行くことになったわけだし、予算的にどうなんだという話にもなった。バブルの頃のように、予算が増えて、規模が広がっていくわけじゃないので。広がった分だけ、どこかを押し込めないといけない。それは監督の本来の仕事じゃないと考える人もいるが、自分にとってはわりと大事なことなんですよ。
たとえば予算の制約で、たくさんライトが焚けない状況になったとしても、照明部さんはどうやったらいい絵を生み出せるのか考えるわけです。いっそうライトなしでいきましょうかという結論になるかもしれない。いろいろな方法があると思うんですよ。制約の中から、特にその制約が自分たちが招き出したものであれば、工夫すると思うんですよ。要は、どう妥協するかというところに、他人との違いが初めて生まれるという。
みんな満足して完璧なものを作っているわけじゃないので。何をもって「うん、これでいいや。完成だ」とするかということですよね。その基準はみんな違うわけで、その「妥協」という言葉そのものが演出だと。自分にとってはイコールみたいなところがありますよね。でもみんな、スタッフもキャストもそれに巻き込まれて大変ですけどね(笑)。
(撮影:今井康一)
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