でもそこに第三者的な視点がポンと入って、「今のお客さんはどういうのを求めているのか」というような視点がひとつ増えるんです。たとえば「お客さんは求めていないけど、いいんじゃないですか」「求めていないけど、こうしたほうがいいんじゃないんですか」「両方いくなら、こういうやり方もあるんじゃないですか」というような。お客さんの目とは何なんだろうということを、考えさせる感覚は、やはり日本の映画会社とは違いますよね。
なんらかの形で興行的な成績がよかったり、単に評価されたりすれば、また次のチャンスが巡ってくるのかもしれませんが。それでも出来上がったものだけで勝負をするという感覚は、正直でいいですよね。煩わしい人間関係がさほどなくていいというか。
三池流、気持ちの切り替え方とは?
――『忍たま乱太郎』から『藁の楯 わらのたて』まで、三池監督のフィルモグラフィは驚くほどバリエーションが豊かで、かつ、毎年多くの作品を手掛けています。いろいろな仕事を振られて、気持ちの切り替えがうまくいかずに「あー!」とパニックになるような人もいると思うのですが、三池監督流の気持ちの切り替え方はあるんですか?
どうでしょうね? たとえばパニックになって「わー!」とか「そんなのできないよ」というような人でも、朝昼晩3食すべてをカレーにしようという人はいないじゃないですか。たとえば昨日、中華を食ったから、今日はちょっとパスタかなみたいな。夜は昨日居酒屋行ったから、今日はうどんすきでも行くかみたいな。僕からすれば、仕事には融通が利かないくせに、ご飯のスイッチは切り替わるのかよっていう感じですね(笑)。それを逆にすればいいわけですよ。毎日ロケ弁にして、やることを変えるとか。ちょっとした切り替えです。しかもかなり簡単な切り替え。
――そういう逆転の発想は盲点でした。ところで三池監督の若い時代の話も聞かせてください。助監督時代はどのようなモチベーションで仕事をしていたんですか?
僕はフリーの身分で助監督をやってきた人間で、自分が将来、監督になるというイメージをまったく持ってなかった。たとえば助監督のときに、将来、自分はこんな監督になりたいと考えるような人よりも、要は、捨て身というか無欲で、後先考えず、監督の演出なんてまったく気にせずに、ただただ突っ走ってるやつのほうが、時には役に立ったりするわけです。
だからそうやって、ワーッと夢中になってやっているうちに、ポッと突然「お前、監督できんじゃないの」と言われることがある。そうやって周りを見てみると、確かにその人の言うこともそうだなと思えてくる。現場の段取りはわかっているし、いろんな監督と付き合ってきた結果、大したもんじゃねえなということもわかってきますからね。
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