その戦いはすべての管制官が聞いている。もし戦いに敗れれば、リーダーの力量不足を露呈することになってしまい、管制官たちがついてこなくなる。まさに、国際間の戦いと国内チームをまとめるリーダーとしての狭間に立つ中間管理職。そのプレッシャーの中で鍛えられていったという。
東覚は日本の運用管制チームをゼロから立ち上げた中心人物だ。約15年前、「フライトディレクターになってほしい」と言われたとき、漠然としたイメージはあったものの具体的な定義はなかった。「何をやったらいいんだろう。本当にできるのか」と不安も抱えていた。だが、入社以来、「きぼう」の通信・管制システムを担当したエンジニアとして、ほかの誰よりも「きぼう」を知り尽くしているという自負はあったという。
1999年から半年間、NASAに出張し、実際にフライトディレクターがどんな現場でどんな行動をするかを間近に見た。NASA運用管制チームは規模が大きく、層も厚い。実際にスペースシャトル飛行中、フライトディレクターが危機的な場面で分単位で物事を判断していく場面に立ち会い、そのスピード感に圧倒された。
「この相手と同等に渡り合って仕事をしていかなければならない」。その厳しさを東覚は痛感した。
帰国後、さっそく管制官の訓練プログラムを作り、認定。NASAの見よう見まねでシミュレーション訓練を繰り返し、自身も勉強しながら初心者集団を育てていかなければならなかった。「チームでいちばんのうるさ方で、『怖い、怖い』と言われました」と苦笑いする。
「たとえば訓練中、トラブルに対する処置方針を筋道立てて提案できなかったりすると、追求してしまう。根拠を言いなさい、自分の意見を言いなさいと」(東覚)。
東覚が厳しい態度を取るのには理由があった。日頃、運用管制チームの背後には技術チームが控えていて、難しいトラブルが起こった際には助言を仰ぐことができる。だが、真夜中にトラブルが発生した場合など、すぐに助けを呼べないときもある。「人頼みにしていると、手遅れになることがある」と考えるのだ。
また、NASAと戦うためには、管制官一人ひとりの「戦力」を上げることも必須だった。
たとえば宇宙飛行士の時間獲得交渉をする場合、まず担当の管制官が東覚に、その根拠を説得する。時には「この作業時間を削ってもいいから、こっちを優先してほしい」という代替案を提示するなど、交渉のための”武器”を用意しなければ、チームの先頭に立つ東覚が、NASAのフライトディレクターと戦えない。
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