宇宙管制室“指揮官”の、「超・交渉術」 世界の宇宙開発で戦う、もう1人の日本代表

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管理職からも「急げ」とせかされながら、東覚は坂上の作業終了を待ってシステムの作業を終了。同時にNASAに「きぼう」モニター作業などの依頼事項を整理した。たまたま、NASAに日本の管制官が出張していた。

「ヒューストンは明け方でしたが、あのホテルの何号室にいるから起こしてほしいと頼み、彼らがNASAの管制室に入ったのを確認して、筑波の管制室を閉めたのです」(東覚)。

日本の管制官チームを引っ張り続け、絶大なる信頼を集める(写真は、「きぼう」運用開始5周年を祝うセレモニーでスピーチする東覚) 出展:JAXA

「きぼう」運用管制室が仕事を開始してから3年間。1日も欠かさず宇宙を見守るチームを引っ張ってきた東覚は、管制室を空けることに抵抗があった。

「NASAからは宇宙飛行士の安全は見えるが、日本の装置の細かいところはわからない。壊れても何もできないだろうという状況で、運用を途切れさせるのは嫌だった」(東覚)

坂上は、「この日の東覚は、肝が据わっていた」と言う。「尋常じゃない揺れ。ここで死ぬかもしれないという恐怖。家族のことも心配なはずなのに、最前線で撤収を指揮していた」(坂上)。

2週間後に管制室が復旧。一時は運用の継続も危ぶまれたが、震災発生時の的確な対応や、NASAの協力を得て密接に連絡を取り続けた結果、「きぼう」は安全に保たれていた。そして今も筑波では深夜も休日も、宇宙を見守り成果を上げるための戦いが繰り広げられている。

国際協力は「競争」と「協調」で進むと言われる。対等に協力するためには、対等に戦える実力を持っていなければならない。

15年前、NASAの見よう見まねでスタートした日本の管制チームは、NASAとの競争で鍛えられ、力をつけた。震災時の危機を乗り切ることができたのも、厳しい“親分”の下で戦う日々があったからこそなのだ。(=敬称略=)

(撮影:風間仁一郎)
 

林 公代 宇宙ライター

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はやし きみよ / Kimiyo Hayashi

宇宙ライター。神戸大学文学部英米文学科卒業。日本宇宙少年団情報誌編集長を経て2000年からフリーに。20年以上にわたり宇宙飛行士や宇宙関係者へのインタビュー、NASA、ロシア、日本でのロケット打ち上げや宇宙関連施設、皆既日食などの取材を続ける。著書に「宇宙飛行士の育て方」(日本経済新聞出版社)、「宇宙就職案内」(筑摩書房)、「宇宙へ『出張』してきます」(古川聡宇宙飛行士らと共著、毎日新聞社)、「宇宙の歩き方」(ランダムハウス講談社)など多数。http://gravity-zero.jimdo.com/

 

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