1999年の立ち上げから半年に1回のペースでNASAとの厳しい交渉を繰り返してきた東覚は、信頼関係も確立し、表も裏も使って調整を行う。今ではNASAをはじめ国際パートナーからの信頼も厚い。「5年間でチームは成長し、しっかり主張する交渉術も上がってきた。信用を得て、世界と対等な関係が築けている」と東覚は胸を張る。
3.11……管制室を出るか否か
ISSの「きぼう」日本実験棟は2013年3月11日で運用5周年を迎えた。その間、何度かトラブルを経験したが、不思議なことに東覚はトラブル時に任務に就いていることが多い。でも東覚が担当だったからこそ、トラブル処理を迅速に仕切れたとも言われる。
「きぼう」始まって以来、最も難しい判断を強いられたのは東日本大震災のときだろう。そのときも東覚は管制卓に座り、指揮を執っていた。
「宇宙実験の終わりかけのときに大きな揺れが来ました。すぐ机の下に潜るように管制官に指示を出し、自分も潜った状態でヒューストンと交信していた」(東覚)。
管制室があるJAXA筑波宇宙センターは茨城県つくば市にあり、震災時は震度6弱の大きな揺れに見舞われた。管制室がある棟の上の階では天井が崩落。すぐJAXAの管理職が駆け付けてきて、「グラウンドに退避せよ」という命令が出される。
「きぼう」運用開始以来、初めて管制室から全員が外に出た。管制室を空けても、大きな異常があれば、NASA管制室からも見える。だが東覚が懸念したのは、この事態がいつ収束し、いつ管制業務を再開できるか、未知数だったことだ。
揺れが収まって管制室に戻ったのは約2時間後、最低限の人数で撤収作業にあたった。当時、実験担当だった坂上は、実施中の実験の後始末をどうしてもやらせてほしいと東覚に頼んだ。撤収をきちんとしないと実験成果が失われるし、後始末で膨大な作業が発生するからだ。
「30分ほしいと頼みました。地上設備やシステムを安全な状態にするなど『きぼう』全体の作業があり、東覚さんはなるべく早く終わらせて管制官を帰らせたかったに違いないが、やらせてくれた」(坂上)。
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