元ダイエー会長、横浜市の待機児童ゼロに挑む 横浜市長 林文子氏に聞く(下)

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BMW東京の新宿支店長になったときに新聞が取材にきたというくらい、女性のマネジャーが珍しかった時代。現在は横浜市長として行政サービス向上に取り組んでいる林文子氏は、部下の男性の誰もが女性上司とどう接していいかわからないでとまどっていたという状況から、持ち前の一人ひとりと向き合うマネジメントで成果を収めてきた。
その後、ファーレン東京(現・フォルクスワーゲン東京)社長、BMW東京社長、経営再建途上だったダイエーCEO、日産自動車執行役員、東京日産自動車販売社長と、さまざまな組織でトップ・マネジャー職を歴任。そして、2009年に横浜市長選に出馬し当選、現在に至っている。
近年は当たり前となった女性マネジャー。しかし、林氏が最初にマネジメント職についた頃は、まだまだ男性社会の名残が残っていた。女性マネジャーの先達として奮闘してきた林氏は、女性ならではの特性がマネジメントに生きると説く。そして、そんな林氏には、どうしても相性が悪かった部下との、忘れられない思い出があった。

インタビューの(上)はこちら

折り合いの悪い部下のこと

部下とのかかわり合いについて、とても印象に残っているエピソードがあります。それは、わたしが自動車販売会社の社長を務めていたころのこと。わたしに対して、強い抵抗感を示していた営業所長がいました。

その営業所長は、18歳で入社して以来、その会社一筋で営業所長になるまで勤めていました。そうしたら、若い頃からお世話になっていた前の社長に代わって、ライバル会社からわたしがスカウトされて突然社長になった。

当時のその会社はまさに男社会だったので、女性が社長になること自体理解できなかった面もあると思います。その営業所長は面白くなさそうな態度を如実に示して、会議でもソッポを向いていました。

わたしから食事に誘ったりと、いろいろ心掛けていましたが、どうしてもギクシャクしてうまくいきません。相性もあるでしょうから完全にこっちを向いてほしいということまでは求めませんでしたが、わたしはその部下はとても才能があると思っていました。だから、営業責任者としてそのような根に持ったような態度はつらかったし、会社にとってもいいことではありませんでした。

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