開催中のワールド・ベースボール・クラシックは、負けるとおしまいという単純なトーナメントではなく、敗戦チームが再挑戦する敗者復活方式を採用している。
一方、岐部秀光著『イギリス 矛盾の力』は、イギリス社会について、「うまくいきそうもないものをすぐにあきらめ撤退することが、イギリス人の得意技だ。……対照的に日本では、いったん始めたことの失敗を認め撤収するのは、実に難しい」と書き、「日本人には失敗した人間への敬意が足りないのではないか」というロンドンのビジネスマンの言葉を紹介する。
日本では、安倍首相の登場後、アベノミクス主導による市場の活況もあって、「久しぶりに世の中が明るくなった気がする」という声が聞こえてくる。同時に耳にするのが「安倍首相の再登場で、なんとなく癒される」という言葉だ。
競争激化や雇用環境の悪化などで「失敗人間」が急増しているが、日本はいまだ敗者復活に優しい社会とはい
えない。安倍首相を見て「癒される」というのは、そんな実態を肌で感じる国民が多いからだろう。
「2度目の首相」は戦後、吉田元首相に次いで安倍首相が2人目だ。
吉田氏は総選挙敗北で政権交代となり、そのまま野党・自由党の総裁を続けて、1年5ヵ月後に政変で首相に復帰した。対する安倍首相は、首相も党首も手放した後、5年後に自民党総裁選、総選挙を勝ち抜いて政権の座に戻った。文字どおり「失敗した人間」の敗者復活である。
実は安倍首相は7年前に著書『美しい国へ』で「再チャレンジ可能な社会」を唱え、「一回の失敗で人生が決まる単線化社会から、働き方、学び方、暮らし方が複線化された社会に変えていきたい」と書いている。奇しくもそれを実践中というわけだが、国民は、第一次内閣時代の失敗の責任を追及し続けるのでなく、再チャレンジを容認し、「過去の反省を教訓として心に刻み」(1月28日の所信表明演説)という姿勢に好感を寄せているようだ。
いまや「大失敗人間」の集まりと化した民主党も、過去の反省を教訓として心に刻み、本気で党再生に取り組めば、もしかすると国民の期待感を取り戻せるかもしれない。
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