米倉:それで、やり始めた時は23、24歳くらいでした。
塩野:23歳のIT事業部責任者!
米倉:スタッフとか部下はほとんど僕より年上で、自分はまったく無知で、会社の構造とかもわからないままやっていたので、「部下の面倒を見なさい」とかいわれて、その存在がとてもわずらわしかったんです。
塩野:高校生の時に部活とかはやっていなかった?
米倉:やっていましたが……。
塩野:それでも部下ってなんだっけと。
部下の存在がうっとうしくてスピンアウト
米倉:たとえば資料を作ろうとなった時に、僕の考えでは一番いい資料を作らなければいけないから自分でやるのは当たり前だし。アポイントひとつでも、間違ってはいけないから自分でやろうと、自分でやるのが当たり前なのに、部下がいる意味がわからなくて。
塩野:スーパーマンの23歳ならば、部下には任せられない上司でも仕方ない。
米倉:効率を追求するのがインターネット及びプログラミングの世界ですから、部下と一緒に何かをやるという瞬間に効率の悪さを感じてしまった。
塩野:一番早い道でいきたいのに、なんで横道に寄らないといけないんだと。
米倉:23歳だとわからない(笑)。それに自分の力量を成長させたいと思っていたので。意欲の方向がぜんぶ自分の内側に向かうので、部下にいかない。そうするうちに、社長とも衝突し始めまして、「IPOなんてしたくない!」とか、とんがっていましたね。
塩野:素直といえば素直ですね、思ったことをやっているという意味で。
米倉:子どもなんですよ。
塩野:クリエイターっぽいですね。
米倉:で、スピンアウトして会社を辞めたという形です。
塩野:そうですか。メディアドゥの社長さんとは今はどんな関係ですか。
米倉:いまはまったく縁が切れています。その後、上場もされて立派な会社になっています。
塩野:なるほど、辞めたのはおいくつの時ですか?
米倉:2004年で、24、25歳ですね。
塩野:そこまでの人生、かなりスピード感ありますね。辞める時に次に何かやろうと決めていたんですか?
米倉:あまり考えていなくて、辞める時のテーマとして持っていたのは、一人でやろうと。一人でどれだけ拡大できるか。それだけですね。そこに集中しよう。組織体、会社構造に対する疑問がありまして。
つまり、会社の中で作っていたものよりも、一人で作ったもののほうが圧倒的にコストパフォーマンスの高い状態を作れれば、組織体の意味がない証明になるんじゃないかとイキがっていました。
(構成:高杉公秀 撮影:尾形文繁)
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