部下はいらない!「個人の力」こそが最強だ 社員が増えると、ムダな仕事ばかり増える

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米倉:時給が1000円で「高いな!」と思って入ったんです。最初は携帯を売っていたんですが、会社から「ウェブビジネスを立ち上げたいんだけど興味ある人は手を上げてください」といわれて、その時、当時から自宅でゲームを自作していたので、携帯電話の販売より面白いなと思って。

僕、なんかやりますと手を挙げたんですよね。1999年のiモード元年でもありました。それで正式に入社したんです。

プログラミングは小5から

塩野:もともとプログラミングをやっていたと。

米倉:小学校5年生から遊びでやっていましたね。

塩野:その世代だと、『マイコンBASICマガジン』世代ですね。

米倉:その通りです。ソニーのMSX、アスキーさんとか大好きでした。

塩野:いまや信じられませんが、紙を読みながらプログラミングしていた時代ですね。途中からマシン語になってワケわからなくなって。とっかかりはどこだったんですか? 親御さんがマシンを与えてくれたりとか。

米倉:ファミコンを買ってくれなくて、自分作るんだったらいいよと。そういう家庭でした。

塩野:私の環境とだいぶ似ていますね。ファミコンじゃなくて作るんだったらということで「BASIC」を書いていました。乱数を発生させて、ジャンケンゲームとかを作っていた少年でした。

米倉:僕は「シムシティ」のちっちゃい版みたいなのが大好きでした。

塩野:人工知能学者で、東大の松尾豊先生も、「大戦略」の中のパラメーターを変えてみたいなことをやられていたそうです。その頃は、それをブレイクできたと。米倉さんは、「作るならいいよ」でプログラミング始めた。高校の時は理系と文系のどちら?

米倉:それが完全に文系で、大学は哲学科です。

塩野:ものすごい文系です。東洋経済オンラインの読者が力をもらいましたね。最近、文系は肩身が狭いんです。どんな哲学を学んだんでしょう。

米倉:ハイデガーとかですね。

米倉千貴(よねくら かずたか)/オルツ代表取締役。大学在学中から、メディアドゥに参加。2001年メディアドゥ取締役に就任。2004年に独立。2014年未来少年を年商15億円まで成長させた後に全事業をバイアウト。同年11月にal+(オルツ)を創業。「パーソナルAI」のジャンルで革新的な提案を行い、人工知能の明日を担う存在として注目されている

塩野:ハイデガーから、携帯にいき、iモードに。セレンディピティですね。ウェブ担当として会社では何から始められたんですか。

米倉:メディアドゥが携帯は三洋電機のものを売っていて、そちらのウェブサイトを作るところから始めました。最初は社長も何をやるか模索する状況だったので、ウェブデザインとか、開発からスタートしました。

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