哲学が教える「人工知能は恐れるに足らず」 2400年前から伝わる「人生の指針」
先月、人工知能「アルファ碁」が囲碁のトップ棋士に圧勝したことが話題になりました。ここ数年の人工知能の発展は目覚ましいものがあります。人工知能は、すでに星新一賞の一次選考を突破できる文章力をもち、医師にせまる診断能力や、東大模試(文系)の学生平均点を大幅に上まわる学力を獲得しています。
グーグルをはじめとするIT企業は、目下、人工知能に莫大な投資を行っていると言います。近い将来、人工知能が人間の知的能力を多くの面で上まわるようになると見て、まず間違いないでしょう。
私たち人間は、感覚能力も身体能力も、たいしたものではありません。人間の数少ない長所であった知的能力が人工知能に追いつかれようとしているいま、人間の善さはどこにあるのかということが、あらためて問われているのではないでしょうか。
いまから2400年前、哲学者ソクラテスは「大切なのは、ただ生きるのではなく、善く生きることだ」と説いて、「人間はいかに生きるべきか」、「人間の“人間としての善さ”は何か」といった問題を人々に突きつけました。
「人間」であることの優越性がわからなくなりつつあるこの時代、“人間としての善さ”を追究したソクラテスの哲学は、私たちに何を教えてくれるのでしょうか。ギリシャ哲学の専門家で『ソクラテスに聞いてみた』の著者が、これからの時代を生きる指針をソクラテス的に考えてみました。
大切なのは、ただ生きることではなく、善く生きること
人間以外の動物は、高次の思考力を持ちません。動物はみずからの生き方を反省できないので、いつも目の前のことに一生懸命です。もちろん、「今のままの自分でいいのか」と悩んだりしません。
一方、人工知能は、高い知的能力をそなえてはいますが、そもそも生き物ではありません。生命をもたないので、本当の意味での自分の関心がありませんし、当然自分のあり方を反省したりもしません。アルファ碁が「囲碁で勝利することに何の意味があるのか」と悩んだり、小説を書く人工知能が「小説で賞をとるよりパチンコで一山あてるほうが割がいい」と考えたりする可能性は、そうプログラムしないかぎりありえません。これは、人工知能が他者(つまり設計者)によって存在理由を与えられているためです。
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