哲学が教える「人工知能は恐れるに足らず」 2400年前から伝わる「人生の指針」
それに対して、人間は自分自身の関心をもち、さらにその関心の持ち方自体に反省をくわえることができます。より善い生き方を思い描いて、理想と現実のギャップに苦しんだりすることもできます。人生に苦悩するのも、ただ生きるのではなく善く生きることを求めるのも、人間にしかできないことなのです。
では、善く生きるためにはどうすればよいのでしょうか。
魂をできるだけ優れたものにすること
ソクラテスは、人間の生の価値は〈魂〉の善し悪しによって決まると考えました。この〈魂〉というのは複雑でやっかいな概念ですが、さしあたっては、〈人間としての価値にかかわる精神的な特性の集合〉=〈魂〉と考えておけばいいでしょう。精神的に向上するというのは、生のあり方が善いものになるという意味です。逆に、どれだけ社会的に成功しても、精神的に堕落したのであれば、人生は悪いものになったということになります。
では、〈魂〉を善いものにするには、どうすればよいのでしょうか。
世の人々は、人生をより善いものにしようとして、優れた人間と“思われるように”、つまらない人間だと“思われないように”行動しがちです。しかし、これでは自分の行為の出発点を他人のなかに置くことになってしまいます。他人の評価を気にして行動する人は、本当の意味での“自分の行動”をしていないので、その〈魂〉は奴隷的になっていきます。
あなたの職場に上司にゴマをする人はいませんか。そういう人は、えてして自分の失敗を部下のせいにするものですよね。その人こそ、“奴隷的な人間”です。奴隷的な人間は、自分の人生の支配権を他人に譲りわたしているので、責任を負う力も、その覚悟もありません。何でも他人のせいにして、自分自身をますますつまらない人間にするという悪循環に陥ります。
つまらない人間にならないのは難しいことです。しかし、それでも私たちは、他人に迎合する人間になることを恐れて、自分の中に向上心をもちつづけなければなりません。それが〈魂〉を善いものにするただひとつの道なのです。
人間には、自分に正直に生きているつもりでも、実は他人によく思われようとしてやっている、ということがしばしばあります。人間は自分をごまかすことのできる存在です。本当はほかの可能性もあるのに、「自分にはこれしかない」と思い込んでつまらないことに時間を費やしたり、できることを「できない」と思い込んで臆病な自尊心を守ったりする人は、けっして少なくないはずです。ソクラテスなら、そういう人に対して、きっとこう言うでしょう。
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