その意味では、2005年の『ALWAYS 三丁目の夕日』以来続く「ノスタルジアとしての昭和」の原典として、いま木下作品を鑑賞しなおすこともできる。実際、佐々木氏の同書もそのような、ものの豊かさは満ちても心のそれがなくなったと嘆かれる現在の殺伐とした空気との対比によって、木下が記録した「われら失いし世界」を振り返る、懐古的なトーンに貫かれている。
しかし、はたしてそれは本当だろうか。むしろ「現代性」を失っているのは木下の作品自体というよりも、もっぱらそのように「今やすでにないもの」ばかりを過ぎ去った時代に探そうとする、私たちの視線の方ではないだろうか。
もうひとつの『二十四の瞳』「国民歌謡」が持つ裏の顔
たとえば、おそらく最も有名な作品である『二十四の瞳』(1954年)。小豆島の分教場で教鞭をとる女性教員の目で戦前から戦後を描いた同作は、オープニングから「仰げば尊し」が歌われ、以降も「七つの子」から「荒城の月」「浜辺の歌」、旋律としては「埴生の宿」「蛍の光」まで、佐々木氏が評するように「さながら小学唱歌全集」の様相を呈する。
おそらくそれが、公開当時の観客にとっても涙腺を弛ませる上で大きな効果を発揮したのは間違いない。だがいま見ると一種異様な感覚をもって迫ってくるのは、むしろもうひとつの「国民が世代を越えて共有する歌」の系譜なのだ。
それは軍歌である。全体の半ば、大石先生と児童が卒業式で「仰げば尊し」で涙の別れをした後で、一転して時代は日中戦争期に入り、「日本陸軍」(天に代わりて不義を討つ/忠勇無双の我が兵は)を島民一同が斉唱するさなかの出征風景に変わる。
島全体が軍歌と日の丸に覆われ一体となった情景の下で、不治の病のため自宅から出られないかつての女子児童を先生が見舞うことで、その孤独が際立つというしかけだ。やがて男の教え子は出征し、先生自身の子供も見送りに駆り出されるが、歌われるのが「露営の歌」「暁に祈る」「若鷲の歌(予科練の歌)」と、徐々に旋律の悲壮感を増す選曲となっていくのが味噌である。
幼い日、学校で友人とともに唱和した思い出は甘く懐かしい。しかし、その皆がひとつになって歌うという行為にほの見える崇高さは、実は集団が個人を殺す力とも表裏一体だ。見るもの誰もが国民映画と呼んで憚らない『二十四の瞳』のなかで、木下が示したのはむしろかような逆説、国民という共同性が時に振るう恐ろしさだったように思う。
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