白隠は大道芸をする布袋の姿をよく描いている。それは、俗世間から離れて修業するのではなく、人々の生活の場である街に出ていって法を説く、という白隠の姿勢のあらわれであり、布袋は白隠の分身となっている。腰に縄を巻いただけの、この「すたすた坊主」も、布袋の姿で描かれている。
すたすた坊主とは、歌い踊りながら物乞いし、富裕な商人から金品をもらって、彼らの代わりに寺社にお参りする坊主のこと。この絵は、道楽が過ぎて、とうとう、すたすた坊主になってしまったということらしい。それでも、人々の幸福を願って代参する坊主は、何だか楽しそうに見える。
臨済宗の中興の祖であり、禅の世界では超大物の白隠だが、普通の人にはあまり知られていない。
東海道の宿場町、駿州の原(現在の静岡県沼津市)に生まれ、15歳のとき松蔭寺で出家した。20代は各地を歩き、山にこもって修行を重ね、32歳のとき、周囲のすすめで、荒廃していた松蔭寺の住職になる。
悟りを開いたのは42歳だった。牛のようにノソノソ歩き、虎のようににらんだというから、迫力ある人だったのだろう。
83歳で亡くなるまでに描いた書画はおびただしい数に上る。展覧会では、40カ所以上の寺や個人の所蔵者から、約100点の白隠の書画が集められ、前期と後期に分けて展示されている。芳澤教授と明治学院大学の山下裕二教授が監修した。大作を中心にこれだけの作品がそろう機会はめったにない。
目玉の1つが≪半身達磨≫だ。80歳を過ぎた晩年に描かれた。衣の赤い色から「朱達磨」と呼ばれ、関東地方では初めての公開となる。達磨というのは禅宗の始祖。インドに生まれ、中国に渡った。ちなみに縁起物の赤いダルマは、座禅する達磨の姿を人形にしたものである。
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