反核からラフォーレまで。熱量のある広告作り 新世代リーダー 長嶋りかこ アートディレクター
――アートディレクターとしてデザインの世界に入ったきっかけはあるのでしょうか。
小さい頃からいろいろとつくっていました。すごい田舎で育ったのでモノもなかったですし、そのうえ貧乏で(笑)。おもちゃもなかなか買ってもらえなくて。だから欲しいものは自分で作っていました。自然と大きくなったら“つくる人”になりたいと思っていましたが、デザインの「デ」の字もないような環境で育ちました。
ものを作る環境に身を置きたかったので美術大学に行きました。今アートディレクターとして仕事をしていますが、私の中ではものづくりが上位概念として先にあって、その中の一つとして広告があるという感じです。デザインというものをちゃんと意識し始めたのは、社会に出てからです。大学に入った当初は、「デザインってなに?」という感じでした。「絵を描けばいいの」って。
美術大学を卒業した後、博報堂に入社しアートディレクターとして仕事をはじめた長嶋氏。日光江戸村の「ニャンまげ」やトヨタ自動車の 「ReBORN」などの広告ディレクションでも知られる先輩アートディレクターの佐野研二郎氏の下でデザインに磨きをかけた長嶋氏に、意識の変化をもたらす出会いが訪れた。
現代美術家の宮島達男さんに出会ったのは、博報堂に入社して3年くらい経った頃でした。ちょうど佐野研二郎さんの下を離れて一年たったくらいのタイミングで。
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