反核からラフォーレまで。熱量のある広告作り 新世代リーダー 長嶋りかこ アートディレクター
あのビジュアルを見た人たち全員にそのメッセージが正確に伝わってるとは思いません。でも、きっと見た人が感じる何かはあると思うんです。あのよくわからないにょきにょきとしたものや、叫ぶ女たちを見た人が、それぞれに何かを感じとってくれたら、それでいいと思います。
大量消費される都市への違和感
アートディレクターとして数々の広告のデザインを手掛けている長嶋氏の視線の先は、広告という枠の中だけでなく、デザインを通じた幅広いものづくりにも向けられている。たとえば、オートメーション化がすすみ、ますます便利になっている都市での生活。しかし、その一方で省略されてしまっている感覚があることに、長嶋氏は違和感を持っているという。
田舎で育ってきたことが自分の原体験としてあるんだと思います。食べものが土から育って、それを食べて、体の一部になって、排泄物が肥料になって土に還って、またそこから生命が生まれる。そのような実感が、生活の中で当たり前のようにありました。
――やはり幼い頃育った環境が大きく影響しているのでしょうか
私の住んでいた地域では昔土葬の習慣があって、人が亡くなって土に埋葬した時に、亡くなった方がその場所にいるという感覚や、盛った土が時間を経るとだんだんと小さくなっていくのを見て、土に還っていくということが視覚的にも感覚的にもあった。
それがとても神秘的に感じられたし、死というものにリアリティがありました。
都市で効率化された生活を送っていると、手間のかかる「間」の部分を省略してしまいがちです。汚いものはすぐに除外するし、見たくないものは見なくなってしまう。自分もそうですが人間はもともと複雑で厄介なカオスの部分を持っていると思うんです。それをどんどん都市のシステムで整理して効率化してしまうことで、自分の中のカオスの部分が整理できなくなって、精神的にまいってしまう人も増えているのではないでしょうか。
効率化された日常のなかで、死というものにもリアリティがなくて、すぐに人を殺してしまったり、人の痛みに対しての想像力がわかなくなってしまっている気がします。
薪をくべて沸かす風呂とボタンでピッと沸かす風呂
このままだと田舎と都市の距離がどんどん離れていってしまうような危機感もあります。都市は都市で、今まで以上に自動化していますが、それが進んでいくと自分の体が本来もっている能力がどんどんなくなっていって、退化していくんだろうなって。
都市は都市、田舎は田舎じゃなくて、都市と田舎の中間の部分をもっと大事にしたり、効率化されることで見えなくなってしまった「間」のプロセスを、もう一度見えるようにしたいのです。
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