これだけの人数が集まれば、緊張で具合が悪くなる人、泣いちゃう子が出てくるなど、毎日何らかの問題が起きます。当時は、毎日、レシーバーを付け、研修クラスを慌ただしく回りながら、トラブルシューティングに当たっていました」
2000人の一斉新人研修は無事に終了。その後の配属までキッチリ見届け、社長肝いりのプロジェクトは見事、成功に終わった。この仕事で得たものは大きかった。気がつけば、各部署に配置された2000人の新入社員から慕われ、「汐留の母」と呼ばれる存在になっていたのだ。
横浜市長に、理路整然と直訴
私生活では00年、前の会社の2年先輩のエンジニアと結婚していたが、子どもを作るのは、「2000人プロジェクトが終わってから」と控えていた。
妊娠がわかったのは07年10月。翌08年7月に出産し、汐留の母は実生活でも母になった。
産休・育休は、出産の2カ月前から1年8カ月、たっぷり取得した。「ワークライフバランスというより、私の場合、ワークワークバランス」と自認する仕事第一主義の沢田さんにしては意外に思えるが、深い事情もあった。
住まいのある横浜市は当時、待機児童数が日本一多い、子育て支援ワースト地区。子どもを認可保育園に預けたくとも、入れなかった。だから、育休を半年延長せざるをえなかったのだ。
だが、問題を前に、ただ指をくわえて見ているタチではない。沢田さんはなんと横浜市長の林文子氏に、2回も手紙を書き、待機児童ゼロを直訴したという。
「『財政事情もおありだと思いますが、今後、労働人口が減少するなら、女性の労働人口を増やすことは急務であり……』といったように、感情には訴えず、理路整然と書きました」
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