5月、オーストリアの大統領選挙で極右政党「自由党」の候補が僅差で敗れた。この結果について自由党は今も異議を唱えている。
自由党は多くの民衆の支持を集めており、欧州政治や難民危機への対応について、不安をあおる主張を繰り返している。重要なのは、何がオーストリアにとっての病かを正確に診断することだ。さもなければ、治療しても病がさらに悪化する事態になりかねない。
オーストリアはかつて欧州でも有数の経済成長を遂げた。しかし2012年以降の同国経済はまるで線香花火のように消えかかっている。15年のGDP(国内総生産)成長率はわずか0.7%。これを下回る国は欧州でギリシャとフィンランドだけだ。一方で失業率は10年の5%から今では10%にまで上昇している。
オーストリアの繁栄の源泉を理解するには、過去に同国がいかに中欧や東欧の諸国と関連が深かったかを見ていく必要がある。まず欧州連合の東方拡大政策の恩恵を受けた。その際、オーストリア企業は東欧諸国へ重点的に投資を行ったのだ。企業のみならず銀行も進出し、融資を実行。これらは事業として奏功し、自国の経済成長につながった。
人材の欠乏が成長を減速させた
しかし、その勢いも長くは続かなかった。原因は人材にあった。中欧や東欧諸国は国民1人当たりの収入は少ないが、優れた専門知識を有する人材を多数抱えている。一方、オーストリアは比較的豊かだったが、専門知識のある人材に乏しかった。1998年時点で中・東欧諸国における学位取得者の割合は全国民の16%だったのに対し、オーストリアのそれは7%だった。
そこでオーストリアの企業は、東欧に投資する際、専門性の低い製造業は移転せず、専門性の高い部品の製造業を同地域へ移転させ、研究開発も同地域で行った。
私の調査では、90年から01年までオーストリア企業の東欧における子会社で雇用された学位取得者の数は、親会社の5倍に上った。
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