いつまでボランティアやってるの?
しかし、震災後1ヶ月もすると、会社全体は震災モードから平常モードへ、徐々に切り替わっていった。震災直後は、社内では震災対応について毎朝朝礼があったが、4月に入ると朝礼の数も減っていた。
それは企業としては当たり前の対応だった。震災の影響を受けなかった西日本からの問い合わせが増えていて、いつまでもそれを放置し、震災対応だけを行うことは難しくなっていた。そんな中、最後まで社内で被災地支援を手掛けていたのが僕や須永だった。
周囲から直接、面と向かって「いつまでボランティアやってるの?」とまでは言われはしなかったが、明らかにそんな雰囲気が漂い始めていた。
当時、コンシューマ事業統括本部には10数人の部長がいたが、僕と須永、2人の部長だけを残し、ほかの人間は通常業務に戻っていった。食品など何か特定のカテゴリーに縛られず、手広く事業を展開していた部署が須永と僕だったこともあるが、僕らが震災支援に没頭していたからということもあるだろう。
さて、これからどうしよう?ヤフーとしてできる、ヤフーにしかできない、次なる被災地支援は何だろうか。
そう考えた須永や僕は、現地で知り合った支援団体や生産者にあたり、さらに、宮坂(学・現社長)や川邊(健太郎・現副社長)の知り合いも紹介してもらった(この2人はビックリするような人脈を持っている。その広さといったら、ほとんど謎だ……)。
時間があれば、関東を中心に、ときには被災地にまで現場の声を聞きに行き、アドバイスを求め、今後どのような支援をすべきか、手探りで探し回っていた。
相談をしに行った人の1人が、震災直後から被災地の支援サポートを続けていた一般財団法人ジャスト・ギビング・ジャパンの佐藤大吾さんだ。大吾さんは僕が個人的に活動していた団体にも、今必要とされている支援の形などを教えてくれて、石巻に行くきっかけを作ってくれた人でもある。
須永と僕が考えていた構想を相談したところ、「ちょうど被災地の産品を取りまとめてネットで販売する支援をやりたがってる高橋歩から、さっき電話があったところだよ!」と、すぐにNPO法人オンザロードを紹介してくれた。
オンザロードは、“自由人”を名乗る実業家・随筆家の高橋歩さんが立ち上げた団体で、世界各国で貧しい環境にある子どもたちのために学校を作る活動をしている。震災が起こった当初も、高橋さんはすぐさま全国の知人に呼びかけて有志のメンバーを募り、石巻に入って支援活動を続けていた。
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