名古屋は、なぜ外国人にとって宝の山なのか 豪州人を魅了する日本最強の観光資源

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もし、名古屋城の天守が木造復元できたら、21世紀最大の木造建築にもなるし、世界からかなり注目を集めますよね。鉄筋コンクリートで作った城は、一定の時間がすぎれば老朽化してしまうけど、木造で再建すれば、100年、200年、ひょっとしたら1000年だって維持することができるかもしれない。そうなったら、国宝や世界遺産になることだって夢じゃないですよね?だから、時間もお金もかかりますけど、僕は名古屋城を木造で復元して、名古屋のシンボル、日本のシンボルとして世界に向けてアピールしていくべきだと思っています。

日本文化の伝道師になるまで

――もともと、クリスさんが日本に興味を持ったきっかけは何だったのですか?

クリス:オーストラリアの祖父の家には日本のモノがたくさんありまして、それが僕と日本の出会いでした。祖父は学校の副校長をしていたんですが、第二次大戦のときには、オーストラリア軍として応召され日本軍とは敵同士の立場でした。でも戦後、祖父は学校を退職すると、かつて敵であった国「日本」の歴史や文化について深く知りたいと思ったようで、祖母と二人で2ヶ月ほど日本へ旅行をしました。そのせいもあって、祖父の家には置物や壷など日本のモノがあふれていたし、日本製の家電製品はもちろん、車も日本製でしたね。僕は子どもでしたけど、そんな祖父と日本の話をするうちに日本に興味がわいて、いつか日本に行きたい!と強く思うようになりました。

実際に夢がかなったのは1985 年、僕が16歳の時。ロータリークラブの交換留学生として札幌に1年間留学することになりました。もともと僕はチャレンジすることが大好きでしたから、母国との言葉の違いや文化の違いも、すべてチャレンジという感じで、それが楽しくてしかたなかったですね。

「どーもどーもどーも!」でお馴染みのクリスさん。ラジオDJとしては30年のキャリアを持つ

――なぜ、ここ名古屋でラジオDJになったのですか?

クリス:僕の夢はラジオDJかヘリコプターパイロットになること。ラッキーなことに、留学を終え母国へ帰国後、プロラジオDJになることができました。

でも、日本に戻りたい!という気持ちが強くて、1992年に再来日。はじめは東京のラジオ局と広告代理店で仕事をしていたんですが、半年たった頃、名古屋で新しいラジオ局が開局するというニュースを耳にしたんです。

僕はもともと、名古屋城やサムライにあこがれを持っていましたから、当然のように応募したんですけど、周囲は「ええ?名古屋??」という感じでしたね(笑)。今は毎週日曜日、名古屋のZIP-FMで「RADIO ORBIT」という番組を担当しています。

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